松崎紀之助『くちなしの志士 淵上郁太郎の幕末』(文芸社、2021年)を読んだ。
この本は、先日、真木和泉の旧居の山梔窩を訪れた時に、その隣の売店で売っていたので、この本を知って読んでみた。
恥ずかしながら全然それまで名前も知らなかったのだけれど、渕上郁太郎は真木和泉の山梔窩の塾生の一人で、師の真木和泉と同じく幕末に活躍した尊皇の志士だったそうである。
久留米の出身で、医師の家の出身でもともとは武士ではなかったようだが、途中で士分に取り立てられたそうである。
真木和泉に付いて諸藩の尊王攘夷の志士と交わり、池田屋事件の現場にもおり、数少ない生き残りだったようである。
蛤御門の戦いにも参加したが、天王山で真木和泉から生き残るように諭され、真木らが全滅していく中で泣く泣く落ち延びて生き残ったそうである。
その後、第一次長州征伐の時には、長州と幕府の和解に奔走し、薩摩と長州の同盟には、坂本龍馬の前に、まず黒田藩の早川勇と久留米藩の渕上郁太郎が動いていたそうである。
ただ、長州の赤根武人と関係が深く、行動を共にすることになり、第二次長州征伐の前夜に、幕府と長州の和平のために奔走し、裏切り者として赤根武人が殺害されると、渕上も裏切り者の烙印を押されたそうである。
久留米藩の佐幕派からも度々逮捕や弾圧を受けてきたのに、久留米藩の勤皇派からも幕府との和平を主張する裏切り者とみなされ、最終的には維新のほんの少し前、1867年に勤皇派から襲撃されて殺されたそうである。
真木和泉とともに最も幕末の尊王攘夷運動の中枢で奔走し続け、池田屋や蛤御門の戦いにも身を置き、薩長同盟の先駆を努めながら、日本の内戦を防がないと外国の侵略を招くかも知れないという観点から幕府と長州の和解に努め、その結果殺害されるに至ったとは、なんとも悲運の人だと思われた。
薩長同盟の最初期の提唱者でありながら、坂本龍馬と比べてあまりの知名度の違いを思うと、なんとも気の毒な気がするが、渕上郁太郎のような多くの無名の志士たちが、実は当時のいろんな動きの中にいて、決して知名度の高い人たちだけで歴史が動いていたわけではないのだろうとあらためて思われた。
にしても、真木和泉や赤根武人や渕上郁太郎や早川勇らのような、なんだかものすごく強い信念や思いがあって一生懸命動いたのに、いまいち報われなかった人たちというのが幕末はけっこういるよなぁとあらためて思う。