山縣大弐 『柳子新論』

柳子新論 (岩波文庫)

柳子新論 (岩波文庫)


山縣大弐の『柳子新論』を昨日読み終わった。
かつて、部分的には読んだことがあったけれど、全文をきちっと読んだのははじめて。


山県大弐は、江戸時代中期、まだまだ幕府が盤石で全盛だった時代に、なんと倒幕を本気で考え、そのために長い年月をかけて多くの人に働きかけ、本気で倒幕と世直しを考えていた人物。
いわゆる「明和事件」の中心人物。


読んでいると、決して奇矯なことやおかしなことが書いてあるのではなく、むしろ非常に真摯で生真面目な人だったのだろうと感じる。


たぶん、内容を要約しても、『柳子新論』の文章全体から立ちのぼる印象や感慨は、全然伝わらないのかもしれない。
言っていること自体はわりと単純で、暴力による武家の支配ではなく、文化に基づく朝廷の世にすべきであり、礼儀や文化を振興し、税負担を軽くし、腐敗を正すべきだということをさまざまな言葉から論じている。
それらを、理想論やたわごとと一蹴する人も、当時も、そして今も多いかもしれない。


しかし、山縣大弐の文章全体から立ちのぼる正義感や正義への希求、幕藩体制の腐敗への批判精神は、その類まれなる真摯さと気魄によって、読む人の胸を打たずにはおれない。


「哀しいかな、衰世の政をなす者、文なく武なく、礼刑並び廃し、ただにその利を興すに心なきのみならず、またその害を除くに心なきなり。」


山縣大弐は、本当に当時の幕府の政治の腐敗や堕落を、心から悲しんでいたのだろう。
『柳子新論』は、ある意味、江戸期の政治思想史版の、異なることを歎くという意味での、歎異抄、歎異の一冊だったと言えるのかもしれない。


「それ聖人の道は、権衡なり、縄墨なり、規矩なり。これを懸けて以て軽重を正し、これを陳ねて以て曲直を正し、これを設けて以て方円を正す。何の利か興らざらん、何の害か除かざらん。」


具体的な方策というよりも、こうした精神のありかた、構えとして、現代人にも山縣大弐は大きなことを問いかけ、教えてくれているように、読みながら考えさせられた。


また、山縣大弐が、漢書の引用のようだけれど、昔の書物から引用している箇所で、


「一夫耕さざれば、則ち天下にその飢えを受くる者あらん。一婦織らざれば、則ち天下にその寒を受くる者あらん。」


という言葉は、なるほどなぁと思った。


今の世も、この言葉は非常に重く受け止められるべきかもしれない。


以前も、『柳子新論』の抜粋を読んで感銘を受けた箇所なのだけれど、以下の文章は、本当に、その精神において、とても大事なことを言っている箇所だと思う。


「政をなすの要は、務めてその利を興し、務めてその害を除くに過ぎざるなり。 利なるは、己を利するの謂いにあらず。 天下の人をして咸(みな)その徳を被り、その利に由らしめ、而して食足り財富み、憂患する所なく疾苦する所なく、中和の教え衆庶安んずべく、仁孝の俗比屋封ずべし。それこれを大利と謂うなり。 そのこれに反すれば、すなわち害なり。 害除かれずんば、すなわち利興らず。 故に古の善く国を治むる者は、務めて利を興し務めて害を除く。 而る後、民これに由る。 これを興すの道、如何。 曰く、礼楽なり、文物なり。 これを除くの道、如何。 曰く、政令なり、刑罰なり。 それこの二者は、惟(ただ)君みずから率い、惟君みずから戒め、而る後民これに従う。ただに君自ら率いるのみならず、実に天の職を奉ずるなり。」


山縣大弐のこれらの思想や精神、passionは、その時代においてはある意味、むなしく終わってしまい、一見無駄だったようにも見えたのかもしれない。
しかし、この山縣大弐の『柳子新論』が、幕府にとっては当然発禁の、持っているだけで危険な文書だったにもかかわらず、ひそかに筆者回覧され、幕末の長州の勤王僧・黙霖に読まれ、さらには黙霖を経由して吉田松陰に読まれて、吉田松陰が倒幕を志すきっかけになったということを考えれば、歴史において無駄なことなどなく、志の種は必ず芽吹く時があると言えるのかもしれない。


平成の今の、志を失いがちな世も、精神を正すために、閲覧参照すべき本のように思う。