ETV『昭和天皇 秘められた終戦工作』を見て

ETV『昭和天皇 秘められた終戦工作』を見た。
南原繁木戸幸一終戦を進言し、木戸幸一から熱心に昭和天皇に進言し、6月22日以降たびたび昭和天皇への働きかけがあった様子が特集されてた。
南原と木戸は、昭和天皇の決断による終戦と、その後は退位すべきだと考えていたことが紹介されていた

番組の最後のほうで、南原繁が自分たちだけでなく、いくつかのグループが当時早期の講和のために働いていたことを証言する言葉も紹介されていた。
南原と同じく無教会の中では、番組では描かれていなかったけれど、塚本虎二が独自の人脈を通して、早期講和について天皇に進言していたそうである。

南原は、愛弟子の丸山眞男に多少語った以外は、戦後は戦時中の終戦工作については全く語らなかったそうである。
5月6月頃から終戦を目指していたのに、結局原爆投下やソ連参戦の前に終わらせることができなかったという痛恨の思いと無力感からそうだったようである。

南原自身の思いはそうだったのかもしれないが、しかし客観的に見るならば、南原繁らの働きかけは、木戸幸一を通じてかなり重要な昭和天皇の意思形成の一つにはなったのではないかと思う。
本人は無力感や痛恨の思いばかりだったのかもしれないけれども、実は一つの、微力かもしれないが決して無力ではない、大切な歴史の一部だったのではないか。

南原繁高木八尺は、アメリカ国内のグルー元駐日大使らの、天皇制を維持した戦後ビジョンを持っている勢力を正確に把握していたようで、他にもスウェーデンの大使館からのそうした分析や報告もあり、昭和天皇はそれらの情報から、ポツダム宣言を受諾しても天皇制が維持されることへのかなりの確証を持っていたようである。

この番組では、戦後、サンフランシスコ講和条約のあとには、木戸幸一昭和天皇は退位すべきだと考えていたことや、南原繁も戦争の道徳的責任をとって昭和天皇が退位するべきだという意見を述べていたことが紹介されていた。

番組では紹介されていなかったが、昔読んだ本にそういえば、昭和天皇自身も講和条約以後退位の意向だったが、吉田茂が政情や政権の安定を求めて昭和天皇の退位に強硬に反対し、昭和天皇も退位を断念したとか、まだ皇太子が若かったので秩父宮が次の天皇になるのではないかと昭和天皇が危惧したとか、そんなエピソードを読んだ記憶がある。

この前見た『ゆきゆきて、神軍』という映画では、ニューギニアの生き残りの人が、昭和天皇が何の責任もとらなかったことを痛切に批判するシーンがあった。
そうした思いを抱える人は、あの時代にはかなり多かったようである。

歴史というのは、必ずしも各自の思い描くようにはならないものだが、その中で、何かしら少しでも一歩でもマシな方に進めることのできた人たちのその時の努力は正当に評価されるべきだと思うし、また実現しなかった思いや考えについても、のちの時代が忘れずにきちんと受けとめて大切な事柄については考えていくことは大事なのだろうとあらためて思った。