備忘メモ たまたま見た番組で印象に残った戦争に関連する話 (戦後78年)

8月になると戦争に関連した報道が多くなる。

今年も、たまたま見ていた番組で紹介されていた話のいくつかが、印象的だった。

 

ひとつは、岐阜のある方の話だった。

二歳の時に父親が出征し戦死し、戦後母親が女手ひとつで育ててくれたそうである。

とうとう父の遺骨は戻らず、父の身の回りの品なども戦地から何一つ戻ってこなかったので、何かあったならばと母も言っていたそうだが、母は五年前に亡くなったそうである。

そしたら、母が亡くなった数年後、テキサスの博物館に展示してある日章旗の寄せ書きの、中央に書いてある寄せ書きの対象者が、その方の父親なのではないかという問い合わせが厚労省から来たそうである。

母が生きていれば思い出などあったかもしれないが、二歳のときのことなので、その日章旗の記憶もなく、父と同姓同名とはいえはたして父のものなのか確信が持ってなかったそうだ。

ところが、出征直前に父を中央にして自分や母たちと撮った写真をよく見たら、折りたたまれた状態で日章旗があり、二文字だけ映っていたそうである。

それで、博物館に残る日章旗を同じような角度で折りたたんで見たところ、その二文字の形状が完全に一致したそうだ。

それで、テキサスの博物館も本人に返還するほうが良いと判断し手続きをしてくれて、今年78年ぶりにその日章旗がその方の元に届いたそうである。

何も遺品がないと思っていたので、本当にうれしいとのことだった。

 

もう一つの話は、ある絵本作家の方の話だった。

その方の父親は陸軍の参謀で、レイテ島で戦死したそうである。

戦後出版された戦記物の本の中には、その父について、臆病者で優柔不断だったと描かれていたそうである。

その方の小さい頃の記憶では、優しくて威厳に満ちた立派な父親の面影だったので、本に描かれている姿とあまりに違い、ずっと心にひっかかっていたそうである。

しかし、父はもうこの世になく、部隊の人も誰も生き残っていないだろうと思い、真相を知る手がかりはもうないとあきらめていたそうである。

ところが、去年、NHKの番組に、レイテ戦の生き残りの方が101歳で出演し証言を語っていたそうで、それを見て、なんとかお話がしたいと思い、申し込んだところ、念願かなって今年お会いしてお話ができたそうである。

そのいま102歳の方は、同じ陸軍の参謀だったので、勝田さんという絵本作家の父親のことをよく覚えていたそうだ。

勝田参謀は補給担当の参謀だったので本当は司令室にいればよかったのに、いつも補給のことを気にかけて、最前線に出向いて補給の様子を確認し視察していた、臆病者どころかとても勇気のある人だった、とのお話だった。

また、後世の戦記物の本で、本当は生きて逃げ帰りたがっていたのに残留組にさせられて無念だったろうと描かれていたので、そのことを確認すると、自分がレイテ島から離脱する前の夜に勝田参謀にお会いして、参謀も帰るはずですよね、と尋ねると、自分はここに残る、君は心配せず帰ってくれ、自分はここで責任を全うする、とたしかにお話されていた、はっきりとその話を自分がした、ご自身の意志で留まったのであり、いやいや残留組になったなんてことは断じてない、とのお話だった。

絵本作家の方は、まさか78年経って当時のことを正確に聞けるとは思わなかったと、感無量の様子だった。

 

上記の二つの話をたまたま見ていた番組で聞いて思ったのは、人の思いや行いというのは、決して消えることがなく、時にはずいぶん長い時間がかかったとしても、必ず何らかの結果を生じ、ずっと残っていくものなのではないかということだった。

78年経って、はじめて伝わることもあるのだろう。

また、おそらくは、あの世から、その方たちの父親が、何かしらの働きかけをして、このようなことが実現したのではないかとも想像させられる。

ただし、これらは極めて運の良い事例であるのかもしれない。

歴史の中で埋もれてしまい、誰にも伝わらず、誰も受けとめていない思いや行いというのも、それこそ数え切れないほどあるのだろう。

その中のほんの少しでも、こうやってきちんとずっと経ってからでも伝わることは感動させられることであるが、そもそもそうした思いをせずに家族が普通に平和に揃って生きられる世の中であって欲しいとあらためて思った。