311から11年

311から11年。
この日が来るたびに、思い起して忘れないようにしなければと思うことが、私には三つある。

 

①人間の想像力の弱さ。
②誰にでもいつ何が起こるかわからないことへの謙虚さ。
③世界中が助けてくれたこと。

 

の三つである。

 

①は、主に以下の二つのことについてである。

福島原発があった場所は、元は海面から35mの高い崖だった。
それをわざわざ25m削って10mの高さにして原発を建てた。
ターン・キー方式で米企業に原発をつくらせたため、海水をとるパイプの長さに合わせるためにそうしたとのことである。
そして、311の時に、13mの洪水にやられた。
また、予備電源を原子炉建屋の中でなくタービン建屋の中につくったため、津波により福島第一原発は全電源喪失という事態になった。
この二つのことがなければ、311の時に原発事故まで起きることはなかったろう。
しかし、東電も所轄官庁も、長年まさかそんなに大きな津波が起こるはずはないという想定のもと、上記のような杜撰な対策しか行わなかった。
これは東電や原発行政に携わった人々が格別愚かだったというよりも、人間というものはそもそも極めて限定された想像力しか持たず、長期的な視野を持つことが非常に難しい、誤りうる存在だということなのだと思う。
人間の想像力の貧弱さについて、311の日が来るたびに、痛切に思い起さねばならないと思う。

 

②は、地震津波も含めて、あるいは不慮の事故や病気も含めて、人間というのは儚い存在であり、誰にでもいつ何があるかわからないということである。
日ごろは忘れているが、いつでも死や不条理に襲われうる、弱い儚い存在なのが人間である。
ゆえに、日ごろからいたわり合い、助け合い、分かち合っていくのが人間本来のあるべき姿ではないかと思われる。
東日本大震災に限らないが、災害や災厄を見るたびに、人はそのことを思い起し、謙虚にならねばならないと思う。

 

③は、あの時に世界中の人々が支援の手をさしのべ、応援の声を寄せてくれたことである。
あの時、ウクライナは2000枚の毛布を日本に送ってくれたという。
ロシアの人々もまた、日本に多くの支援物資を送ってくれた。
アメリカがトモダチ作戦を実施して多くの手助けをしてくれたことや台湾からの巨額の義援金も忘れてはならないが、しばしば歴史問題で日本とぎくしゃくすることもある中国や韓国も、あの時は多くの支援の手を日本にさしのべてくれたことは忘れてはならないと思う。
我々は決して孤立した存在ではなく、困った時には助けてくれる多くの隣人がいる。
そしてまた、私たちもそうならねばならないのだと思う。
常に忘れてはならないのは、自分と世界のあらゆるものごとはつながっているということと、自分と他の人々との立場を交換して考えることができることであり、そのことを多くの国々の人々が実践してかつて日本に手を差しのべてくれたことを忘れないことなのだと思う。

 

そしてまた、上記三つのことを踏まえた上で思うのは、原子力発電所はあまりに危険であり、エネルギーをなるべく原発に依存しないようにしていくことは不可欠ということである。
現在、ウクライナにおけるロシアの軍事行動により、原子力発電所も攻撃を受け損傷するのではないかとウクライナや欧州の人々は多大な心配をしている。
日本は、そもそも地震津波などの天災が多い上に、戦争やテロによる脅威を考えれば、狭隘な国土しかない日本にとってやはり原発はあまりにも危険と思われる。

 

月日が経つと何事も風化し、忘れられたり薄まっていくことが多いのかもしれないが、上記のことを、この日が来るたびに、思い起したいと思う。