塩谷喜雄  『「原発事故報告書」の真実とウソ』

「原発事故報告書」の真実とウソ (文春新書)

「原発事故報告書」の真実とウソ (文春新書)


四つの事故調報告書をわかりやすく解説し、重要な論点を整理してある。
とても良い本だった。


各種事故調は、私も部分的には以前からネット上の議論で必要に迫られて読んだりはしてきたが、なかなかその全体像を全部よく整理して把握することはできていなかった。
なので、とてもためになった。


本書は、いくつかの論点に従って四つの事故調報告書を比較している。


その一つは、福島原発は、津波ではなく、地震が事故原因ではなかったかという論点である。
とても興味深かった。
各種事故調の中では、福島第一原発津波が来る前に地震で壊れていた可能性について突っ込んでいるのは国会事故調だけである。
国会事故調報告書の記述を考えるに、どうも津波の前に、地震でぶっ壊れていたんじゃなかろうかと私にも思われてならなかった。
詳細は本書、および国会事故調報告書にゆずるが、津波到達前に事故が起きていたのではないかと思われる証拠が多数あり、興味深かった。
だとすると、いくら津波対策をしても、今後も地震大国日本では、原発はやっぱり危険なものだということになる。
しかし、東電は自らの責任をなくすために、あくまで津波だと言い張り、さまざまな情報を操作し隠蔽しているようである。


また、事故後対応についての政府事故調の検証も興味深く、これを読んでいると、あらためて東電の対応のまずさに唖然とさせられた。
せっかく起動したIC(非常用復水器)を手動で止めてしまったり、一旦特定事象報告を出した後、一度取り消し、また出しているなどなど、これがなければと思うことが多すぎる。
その理由は、現場の判断ミスもあるが、そもそもの緊急時の対策やシステムの怠りによることも本書を読むとよくわかる。
東電も保安院も、スリーマイル島原発事故の教訓を、そもそも全く学ばず、全然生かしていなかった。
それを考えると、やっぱり原発の事業主体としての責任意識も能力も欠いていたとしか言いようがない。
事故対応マニュアルがそもそもろくに存在せず、あったのは役に立たなかった。
きちんとそれらが用意されていればと思えてならない。


また、本書が厳しく批判していることに、東電事故調の最終報告書の「事故の概要」のひどさがある。
放射性物質が周囲の住宅や田畑や人々にばら撒かれたことについて、そもそも東電事故調の「事故の概要」に全く記述がない。
つまり、住民の被害や避難やそれらへの放射性物質による影響は、東電は念頭にないということなのだろう。
読みながら、私もなんとも唖然とせざるを得なかった。
過酷事故の過程で、東電がろくに首相官邸にきちんと事態を報告せず、かつ住民の避難に努力しようともしなかったことには、ただ唖然とする他ない。
そのうえ、保安院も全く役に立たなかった。


さらに、本書は、福島原発の過酷事故は東電の「自滅事故」であることを指摘し、事故後多くのメディアが飛びついた首相への批判についても冷静に疑問を呈している。
福島原発事故菅総理がヘリで現場視察をする十時間前には、すでに一号機はメルトダウンを起こしていたことなどを冷静に指摘している。
たしかに、官邸の介入は過酷事故に関してはほとんど関係なく、東電の長年の怠慢と杜撰さが原因だったのが、本書を読むとあらためてよくわかる。
いわゆる「全面撤退」問題も、本書を読むと、やはりあったと考えられる。


世界の地震の中の、マグニチュード4以上の大きな地震の、実に四割以上は、日本およびその近辺で発生している。
しかも、日本の国土の海岸線は世界で三番目に長い。
しかも、老朽原発が集中立地している。
そして、抜本的安全対策を取らない限り、再稼動すると十年に一度は過酷事故が起きると予測されている。


これらのことを考えると、当時の菅首相や、あるいは共産党など、さらには最近の小泉さんが言っている脱原発こそが正気であって、安倍自民党政権の原発政策はこれらの事実に目をつぶっているか、あるいは目が盲いているかのどちらかではないかと思える。
日本で原発は危険すぎる。
十年以内にまた福島並みの事故が起きたらどうするのだろう。


にもかかわらず、抜本的安全対策をとらぬ限り、再稼動をすると日本では十年に一度は原発過酷事故が起きるという原子力委員会が二年前に発表した衝撃的な予測も、あまり今日生かされているようにも思えない。


あの未曾有の原発事故は何だったのか。
それを考えるための叩き台として、重要な一冊と思う。