ポツダム宣言の第四条は、日本を「破滅の淵」(the threshold of annihilation)にまで追いやった「非知性的なもくろみ」(unintelligent calculations)をもたらした「身勝手な軍国主義的な助言者たち」(self-willed militaristic advisers)に、引き続きコントロールされるか、あるいは「理性の経路」(the path of reason)に従うかどうか、日本自身が決める時が来た(The time has come)と述べていた。
日本は、このポツダム宣言を受諾し、その後の七十一年ほどの間は、平和と民主主義と人権の尊重を国の基本的な柱としてきた。
この七十一年間、一度も他国を侵略することはなかった。
一応は、「理性の経路」、理性の小道を辿り続けてきた、と言えるのかもしれない。
ただ、それが今、大きく変わろうとしている。
自民党の改憲草案は、現行の憲法と大きく異なる。
九条をどうするかばかりが注目されがちであるが、本当に重要なのは、人権規定ではないかと思う。
つまり、他人の人権を侵害しない限りは最大限人権が尊重される(やや難しい憲法学の言葉を使えば「公共の福祉」の内在的制約説)ものであった今までの日本国憲法から、外在的に存在する「公益及び公の秩序」を根拠に人権の制約を正当化できる改憲に踏み出そうとしている。
さらに、自民党の改憲草案の第九十九条の緊急事態条項には、緊急事態においては内閣が制定する政令が法律と同等の価値を持つとされている。
つまり、国会の審議を通さずに、内閣が事実上法律を思うがままに制定できるという、ナチスの授権法と同じことが定められており、これが実現すれば、もはや民主主義も人権も緊急事態において簡単に終わりにできる。
七十一年、いつの間にか私たちは、理性の小道に従ってきたつもりが、再び岐路に立たされ、そしてかつて訣別したはずの方向に迷いつつあるのかもしれない。
いつの間にか、二度と戦争をせず、人を殺さないことを願いとしてきた平和主義も、形骸化し、忘れられ、嘲られるようになってきた。
防衛大臣の新しい人事を見ていると、「非知性的なもくろみ」の「軍国主義的な助言者たち」がそのまま復活したかのような光景を目の当たりにせざるを得ない。
“The time has come”という表現は、実は聖書に出てくる表現であり、それに由来する。
マルコによる福音書の第一章十五節で、イエスが悔い改めを人々に勧める箇所に出てくる。
ポツダム宣言に限らず、キング牧師やオバマ大統領の演説にもよく出てくる表現である。
一般的によく使われている日本語訳のポツダム宣言ではそのことが全然わからなくなっているが、英語の原文で見ると、”The time has come”という表現がポツダム宣言第四条に使われている。
今の日本も、再び日本自身が「理性の経路」に引き続き従うかどうか、”The time has come”の時が来たのだと思う。
これから、おそらく二年の間ほどが、重大な岐路となる。
かつて七十一年前の八月十五日に、多くの人々が、万斛の涙を呑み、「身毛孔中血流眼中血出」の痛切な懺悔に立ったことを思えば、あそこまで再び国土が灰燼に帰し心が引き裂かれる思いをする前に、今のうちに迷いかけた道を引き返し、理性の経路をしっかり辿るようにした方が良いのではないか。