メモ 『世紀の遺書』の中の水口安俊という方の文章

『世紀の遺書』を読んでいたら、以下の言葉があり、考えさせられた。水口安俊という方の言葉で、元陸軍軍医少尉で、巣鴨プリズンにおいて三十四歳で刑死されている。遺書には、キリストに帰依したことや、家族への深い愛も綴られている。


「人類の愛について欠ける事が多かったとつくづく考えさせられる。
人類を深く愛するという事、国境を越えての愛の手を広げるという考えの至らざりしを恥ずるものである。
しかし気付いたことはともあれ善い事である。
今後は人類の愛に深く没頭してみよう。」
(水口安俊『世紀の遺書』681頁)



以下は、同じく、水口安俊の文章。(『世紀の遺書』682〜683頁)

「遺書

 父上よ
 無限の愛を賜りつつ何一つ御孝養も尽さずして此の世を去る私を御許し下さい。誠に申し訳ありません。父上が苦闘の限りをつくして私に勉学させて戴いた御恩は如何なる言葉にても御礼の申様がない程です。常に私は感謝しておりました。おかげで今日まで感謝と満足の生活を楽しむ事ができました。私の歩いて来た長い長い道を回顧して見る時楽しいにつけ苦しかりし時につけ父上の無言の教と愛とにすべてが包まれて甘い想い出として残ります。父上にしますれば最大の望をかけて私を育てたにもかかわらず、未だ実を結ばずして去り行く私を言葉につくせないほど残念で御座いませう。察するに余りあります。呉々も不幸を許して下さい。父上ほど心の清く真実そのものの姿の人を私はかつて見たことがありませんでした。私はこれを唯一のほこりとして心にしまっておりました。現世の荒波は益々高まりさぞ心も身ももまれにもまれて辛酸をおなめになる事と存じます。此の点私は心配で心配でならないのですが私亡き後姉弟妹等が夫々私に代って父に孝養をつくす様祈念しつつ去ります。父上よ呉々も御身を大切に心は益々清く静かに生き抜いてくださいませ。


 つい数日前に父より数通の便りを入手しました。恩給がうんと増えた由結構でした。私も安心した次第です。それは通の学費として送られたそうで通ももてる才能のありったけで頑張ってくれる事と信じております。御存知の様に私は受刑後宗教として神を信じイエスの教えを奉じひたすら心のよりどころとして今日まで過ごして参りました。おかげで日々がどれだけ楽しかったか、とても言葉につくせないほどでした。私の信じて行動する事に対しては昔から何一つ干渉なさらない父上ですから此の私の選んだ道を許して戴けるものと信じて居ります。私が此処に入所して以来三年余りの間よく私のために姉妹弟等は涙ぐましきまでに私を慰め激励してくれどれだけ私は力強く感じたか分りません。よい兄弟を持ったとほこりに思っています。
 次に同窓生として旧友の田中正四君がおります。此の人にもよろしく父上から一言お願いします。
 私の歩いて来た道は常に私が信じ誠心誠意のこもった一路で決してはでではありませんでしたが、自分ではもう満足しております。思ふ事は多々ありますが胸につまって思ふ様に書けません。
 最後まで私のそばにつきそって何くれと勇気付けて下さった花山先生には受刑後一年五ヶ月間陰に陽に大層お世話様になりましたのです。私は此の先生の導きにより誠に力強く安心しておれました。どうか先生によろしく御礼申してください。
 父上よ、呉々も不幸の限りをつくして世を去るを許して下さい。此の事が最後まで私の念頭を離れません。いづれの時にかは父上と一緒に平穏なる生活を営む事を唯一の楽しみにして営々、父上も私も出来る限りの努力はして来たのですが遂に叶わず想い此処に至る時涙がにじんできます。朝野様には父上の事を呉々もよろしく御願いしておきました。斎藤様には別に書きおきを残しませんでしたから父上より私の心を汲んで厚く御礼を申上げて下さいませ。(永々小生が御世話になりました)又本藤様初め私の知る親類の方々にどうかよろしくお伝え願います。終に在天の我が主なる神に父上に平安と恵みとを賜わらんこと祈り筆を終えます。父上よ呉々も御体大切に強く生きてください。お願いです。
 さようなら
 二月十一日 午後三時


  絶筆


 父上よ
 では只今より刑場へと向います。最後の三十分をあたえられここに書きのこします。父上よ今日まで育てて下さいました事を本当に感謝します。私は親不孝でした。呉々も許して下さい。心は誠に落ち付いております。最後まで悩むことなく天にいます主なる神に参ります。朝野、斎藤、本藤様等によろしく、又姉上妹弟等にもよろしく。
     二月十一日午後十一時三十五分  安俊
 (註 処刑三十分前に認められたもの)」



いかなる人だったのだろうか。


京城帝国大学医学部卒業、と書いてあるので、大学時代はソウルで過ごしたのだろう。


タイピングしていない部分では、敗戦後の日本やマスコミに対するかなり痛烈な皮肉も述べていたり、広島の原爆に対するアメリカの態度を非難もしている。
戦犯裁判についても、「この裁判は明らかに復讐なのだ。」と喝破している。


先日、サンシャインシティの横の、巣鴨プリズンの受刑者の慰霊碑にお参りして、何か伝えたいことがある人々の声なき声を聞いたような気がして、それからこの本を読み始めているけれど、これらの言葉は、しっかり耳を傾けて、受けとめないとなぁと思う。


「人類を深く愛するということ」、この巣鴨プリズンの中で、おそらくはほとんど筋違いだった理不尽な報復裁判で死刑となっていった人々が、生死を深く見つめる中で思い至ったことを、戦後の我々はどれだけ本当に汲み取ってきたのだろうか。


あと、水口氏をはじめ、『世紀の遺書』に収録されているさまざまな遺書を読むと、いま生きていのちあることや自由であることに心から感謝し、家族や社会のために尽くさないとなぁとあらためてしみじみ思う。
親孝行もしようと思わされる。

それにしても、まだ三十代ぐらいの有為の人々が、どれほど無念の涙をのみながら、不条理な裁判で死んでいったかを思うと、このような事態に至らせた日本の指導者たちの愚かさと、アメリカの指導者たちの傲慢さに対して、深い憤りを抱かずにはいられない。