京都旅行記 その4 清水寺

京都旅行記 その4 清水寺


清水坂を登っていると、ふと小さな御堂があった。
どうやら聖徳太子が祀ってあるようである。
しかし、何も解説の看板や掲示はないので、よく由緒などはわからない。
立錐の余地もないほど大勢の人々がいる中でも、その御堂にお参りしている人は誰もいない。


聖徳太子は、浄土真宗門徒としても最高の尊敬の対象であることは言うまでもないことなので、御堂にお参りすると、御賽銭箱の横のあたりにちょっと大きめの石が置いてあった。
何だろう、撫でるものだろうか?と思いつつ、戻ろうとしたら、ちょうどおばあさんが二人、この御堂にお参りに来ようとされていた。


「あの石は何なんですか?」


と私が尋ねると、おばあさんたちが言うには、

「一心に願いごとをしながらあの石を持ち上げて、持ちあがると願い
がかなう。」


とのこと。


へえ〜っと思って、願いごとを思いながら持ち上げたら、持ち上がった。
ずしっと重い石だったけれど、気合をこめれば持ち上がった。


おばあさんたちが、「良かったね〜」とにこにこしながら言ってくれて、こちらこそ御礼を言いながら御堂をあとにした。


何もそうした丁寧な解説の掲示はないので、たまたまそのおばあさんたちに教えてもらわなかったら知らないまま通り過ぎていたろう。
ありがたいことである。


さらに坂道を登っていくと、また御堂があり、見ると、聖徳太子が自ら彫った、生身の阿弥陀如来像だそうで、厄除けとしていろんな衆生の身代わりとなってくださる仏像だそうである。
お参りして念仏を称えると、それぞれの衆生がそれぞれにいろんな苦しみを抱えながらもわがことばかり願う中で、少しもわがことを省みずに衆生のために衆生の苦しみを代わって背負い続ける如来の心に、なんともわが身が省みられ、またありがたい思いになった。
その日の午前中にお参りした泉涌寺戒光寺の丈六の釈迦如来像も身代わり仏だったけれど、仏の心というのは本当にありがたいと思う。
昔、ダライラマに直接質問させていただいた時に、「トン・レンの法」という、いわば仏のこの心を自分自身が持つように日々に修行する方法をお教えいただいたことを思いだした。
ちっともできていないけれど、少しはその方向に心を育てるように意識していきたいとあらためて思った。




それから坂道を登っていくと、ついに清水寺の山門。


山門も美しく立派で、すぐ側の三重塔とともにとても美しい。
その日の前の夜、ライトアップされたものは見て、夜の山門や三重塔も美しかったけれど、昼の光の中で見ると、またあざやかな色彩だった。


そういえば、うちの母も昔清水寺にお参りしたことがあると言っていた。
遠い御先祖様の何人かも、この清水寺への坂道や、この山門からの石段を登ったことがあったかもしれない。
今、同じく大勢の人が前後左右にこの石段を昇っている。
たぶん、これからずっと先の時代も、多くの人がこの道を登るのだろう。


本堂への入口をくぐっていくと、そこはかの有名な「清水の舞台」。

昔、私が修士論文を書いた時に、ある先生が、「公聴会は一世一代の舞台と思い、清水の舞台から飛び降りるつもりでやりなさい」と言ってくれて、あの時もその思いでなんとか乗り切ったし、その後も、人生のそのつどの瀬を乗り越える時にその思いでやってきて、なんとか今に至った。
その日のつい先々日にも、自分にとっては大きな山場があり、清水の舞台から飛び降りるつもりでやってきて、なんとか無事に乗り切ることができた。


とはいえ、その時まで、一度も実際は清水の舞台に立ったことはなかった。
実際に立ってみると、深い感慨がある。
たしかに、とても高い場所にあって、見晴らしが良い。


本堂にあがって、観音経を唱えると、これは私の妄想かもしれないけれど、こんなことを観音様がおっしゃっているのが自分の脳裏に浮かんだ。


「仏の心の声を聞くことが「観音」です。それと、世の中の人の心の声を聞くことと、自分の心の声を聞くことと、合わせて観音なので、音羽の滝は三筋あるのです。」


と。
なるほどーっと思った。


それから、さらに本堂の奥に進んでいくと、法然上人の御像があった。
普段は山門の近くに御安置されてあるのが、今工事中なので、一時的に本堂の本尊の横に御安置されているらしい。
考えてみれば、観音信仰の清水寺に念仏の法然上人の御像があるのは不思議といえば不思議だが、そんな狭い宗派の了見にはこだわらず、ごく自然に法然上人の御像を清水寺の中で大切にしてきた中世や近世以来の日本人の心が素晴らしいと思う。
思うに、直感的に、本当の観音とは、「仏の心の声を聞くこと」つまり仏の願を聞くことであり、そのことを一生をかけて明らかにし、説き続けたのが法然上人だったということを、中世や近世の人はごく自然に直感的によくわかっていたのだろう。
宗我見にとらわれた近現代の人間こそが、もっとも真実から程遠いのかもしれない。


法然上人の御像からちょっと歩くと、清水寺の御本尊。
御本尊は秘仏で御簾の中に入っているけれど、御前立があって、優しい表情の観音像だった。
左右には無数の他の菩薩像もあり、なんとも不思議な気持になった。


そういえば、私は今から十数年前、二十歳の頃、熊野の那智青岸渡寺にお参りしたことがあった。
あの頃はまだあんまり仏縁も深くはなかったけれど、あれが今思えば、西国三十三観音に結縁した最初であって、今日、思いもよらず、今熊野観音寺六波羅蜜寺清水寺と、西国三十三観音の札所を三つもお参りすることができた。
いつか、他の札所の観音様にもお参りしたいものだ。


御本尊に御参りしたあと、本堂を出ようとすると、大きな「慈眼視衆生 福寿海無量」と書かれた額があった。
観音経の中でも、この二句は特に私も好きで、以前中国人の友人に「福寿海無量」と書いた年賀状を送ったらとても喜ばれたことがあった。
本当に、この二句は、すばらしい言葉と思う。


それから歩いていくと、清水の舞台をちょっと離れたところから見ることができ、とても美しい景色だった。


緑の木立の中を歩いていくと、ところどころに美しい百日紅が咲いており、さながらこの世の楽土か浄土か。


ぐるっとまわって坂道を降りていくと、音羽の滝があった。
たしかに、三筋になって流れ落ちている。
しばらく並んで、私も流れ落ちる滝の水を柄杓で汲んで飲んだ。
たしかに、とても冷たいおいしい水で、パワースポットと言われるけれど、なんとなく清らかな元気な力をもらったような気がする。


水が湧き出るところや滝などは、世界のどこでも聖地や霊地となっている。
音羽の滝のところに、簡単な清水寺の開山の縁起がイラストつきで書かれてあったけれど、おそらくは観音像ができる以前から、この一帯は一種の聖地や霊地として大事にされていたのかもしれない。
縁起はそのことをうかがわせるような記述だった。


かくも日本人の参拝者が多いのはもちろん、外国からの観光客が多いのも、清水寺の建築の美しさに心惹かれてということもあるのだろうし、周辺の土産物屋さんがめあてということもあるだろうけれど、直感的にここがパワースポットだと思っていることもあるのかもしれない。


清水寺は、たしかにお参りすると元気になるし、心が楽しくなる、素晴らしい場所だなぁと、今回はじめて来てみて実感した。
また、機会があれば訪れたいと思った。