小野小町の歌に、
「偽りの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまし」
という歌がある。
嘘がない世の中だったら、どれほど人の言葉は嬉しいだろうか、現実はそうじゃないからなぁ、というぼやきの言葉だけど、千年前と今もあまり人の世は変わってないことがよくわかる歌で、桜を見ているとふとこの歌が思い出される。
昔、十年ぐらい前、当時付き合っていた彼女と宮崎に旅行に行って、満開の桜を見たことがある。
「またここの桜を見に行こうね」
と約束したもんだったけど、二度と一緒に見に行くことはなかった。
また、その後、別の人と、興山園というところの桜をよく見に行ったけれど、
「毎年ここに桜を見に行きましょうね」
と言っていたが、せいぜい数回に終った。
おそらくは、それらの人の心には、もはやそれらの桜を思い出すこともないだろうと思う。
在原業平の、
「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは 元の身にして」
の歌が身に染みる。