- 作者: 呉茂一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/11/18
- メディア: 文庫
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たしか高校生の頃、なので十五年ぐらい前に買って、一度は読んだのだけれど、その時はそこまで深い感銘は受けなかった記憶がある。
しかし、今回、たまたま本棚から取り出して、ひさしぶりにじっくり読んでみたら、本当に胸を打たれた。
どれも本当に光り輝いているようで、なんだかなつかしい気がする。
幸せな歌の数々や恋の詩。
そして、ペルシア戦争やテルモピュレーの戦いの戦没者を悼む詩の数々や、病で若く幼くして亡くなった子を嘆く親の詩の数々。
それらを読んでいると、古代ギリシアの人々の息吹や姿がよみがえる気がするし、人の死を悲しみ、恋に喜び、恋に焦がれたのは、現代人と同じで、もっとすぐれた深い心を持っていたのかもなぁとしみじみ思われた。
読み人しらずの、
「花そうび、
花のさかりは
ひとときか。
過ぎ去れば、
尋ぬれど
花はなく、
あるはただ茨のみ」
(121頁)
というごく短い詩篇には特に、無限の抒情を感じる。
シモーニデースの、
「君よ、いま見たまふはクロイソス王の陵ではない、ただ手職に生きた仕事師の小さな塚だ、が自分にはこれで十分なのだ。」
(48頁)
という墓碑銘の詩は、デモクラシーやアナーキズムの真髄を見るような気がする。
時折また読み返し、古代ギリシアの息吹を吸い込み、生きるとは何か、考え直したいものだと思う。
にしても、ギリシアもローマも、けっこう酔っ払いや、女にふられて未練がましい男がいたようである。
限りなくロマンを誘う立派な輝いた人々がいた反面、いつの世も見苦しいどうしようもない生き様の人もけっこう多かったのだろう。
両面あって、きっとあのギリシアとローマを形作っていたのかもしれない。