雑感 「八重の桜」について

この前、「八重の桜」を見ていて、川崎尚之助って気の毒だなぁとしみじみ思った。

「八重の桜」の描き方がどの程度史実なのか私はよく知らないけれど、仮にかなり史実に基づいているとしたら、なんとも哀れである。

歴史には時折、不運な人がいるが、その一人だろう。

ただ、ドラマの中で、すでに別れた妻の八重に、あなたの夫だったことが自分の誇りです、と愛情といたわりに満ちて述べているところは、なんとも涙を誘われた。

八重が、結局、新たに新島襄という、もっと歴史的には有名な男性と再婚していくことを考えれば、なんとも切ないけれども、愛というのは、添い遂げることがなくても、本当に愛し、いたわったものであれば、いかほど悲しくつらいものであろうと、そこに誇りがあり、意味が生じるのかもしれない。

「八重の桜」は、なにせ綾野剛の演じる松平容保がこれ以上ないぐらい似合っていたことと、小泉孝太郎演じる徳川慶喜の嫌さ加減の際立ったはまり役と、そしてこの長谷川博己演じる川崎尚之助のとても繊細な演技とで、現時点ですでに私の中では龍馬伝以来の高得点大河ドラマとなった。

この先、すでに怪演ともいってよい中村獅童演じる佐川官兵衛が、きっとさぞかし西南戦争では悲壮壮烈な名演技をしてくれるものだと思う。

あと、できれば、西田敏行にもよく登場してもらって、西郷頼母を通じて、生きることのつらさや生きることの意味を、視聴者に伝えて欲しいものだ。

西島秀俊演じる山本覚馬も、眼が見えなくなってから、本当に良い味を出していると思う。

あと、綾瀬はるかは、今まであんまりファンではなかったけれど、この頃、毎週大河で見ているせいか、わりとかわいい気がしてきた。
戊辰戦争が終わる前は、他の出演者の女優さんに比べても地味な気がしていたが、戊辰戦争が終わったあたりから、良い感じになってきたと思う。
どっかにあんな人がいて、俺の嫁さんになってくれんもんだろうか。

それにしても、会津の人々が、あれほど理不尽な目と、つらく悲しい思いを経ながら、なお逞しく再び立ちあがって、明治の世も生き抜いていったことを考えれば、いかに人生不如意なことや、索漠とした思いや、悲しみや絶望があろうと、あれと比べれば何てことはなかろうし、再び俺も立ちあがっていこうという気がしてくる。

それと、会津もだが、明治になってから、聖書やキリスト教を深く読んでいった人々の中には、幕臣や旧幕軍の人が多かったようである。
本当に深い悲嘆や、世間的にははぐれた人や、嘆きの底でこそ、聖書のことばが心に響くのかもしれない。

新島襄も、そのことへの深い思いがあって、キリスト教を伝えることにあれほど情熱を燃やしたのだろう。
新島襄については、私は恥ずかしながらほとんど詳しいことは知らないので、そのうちいろいろと調べてみたくなってきた。

そういうわけで、あれこれ考えさせられるし、龍馬伝も面白かったが、八重の桜もとても良い作品ではないかと思う。
土佐も悲惨や悲しみに満ちていたが、会津もなんと悲劇に満ちていることだろう。
ことほど、人生というのは、いつの世も不条理や歎きや悲しみに満ちているということなのだろう。
土佐の場合は、そのほとんどの理由は内紛と内部の差別にあったと思われるけれど、一藩をあげて一糸乱れず、君臣が水魚の交わりのように深い団結のあった会津は、ひたすら外部からの攻撃によって悲劇となったことを考えれば、内部の紛争もなく、また外敵からの攻撃もないというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。

ただ、たとえ一敗地に塗れたとしても、会津があのように君臣一致し、一糸乱れることがなかったのは、松平容保の人物や藩のすぐれた家風もあったかもしれないが、実に稀なる見事な美しいことだったと思う。
いかに悲惨であったとしても、あのような共同体の中に生きることができれば、たとえ死んでも本望なのかもしれない。
それは、城山で玉砕した西郷隆盛とその仲間たちも、同じだったのかもしれない。
あれほど密な深い人間の絆というのは、もう今時は日本にはあんまりない気もする。
仮に今の日本が、何か大きな不条理や戦いに巻き込まれたとして、どの程度、会津のように一致団結できるだろうか。
会津と比べるのも愚かなほど、国難に際しても政府に悪口雑言を言い散らかしていた政治家やメディアや国民が多かったことを考えれば、とてもじゃないが、かつての時代のような武士道は、もはやこの国からは消滅していると見た方が良いのかもしれない。

とはいうものの、こういうドラマがきちんと放映されて、それなりの視聴者がいることも考えれば、日本の心も、ある意味、健在な部分もある程度はあるのかもしれない。
あとは、どの程度、各人が、川崎尚之助山本覚馬らのように生きようとするかどうかなのだろう。

薩摩や長州も偉大な人物を輩出したし、その士風には見事なものがあったと思うけれど、会津こそが、今の日本が最も学ぶべき、うるわしき美風の鑑なのかもしれないなぁと思う。