今日は

今日は、フィリピンでずっと伝道されているY先生という牧師さんの御話を聴いた。いろんな貴重な話を聴けてためになった。


昨年の台風で、フィリピンは大きな被害を受け、その様子もいろんな写真で見せていただいたが、本当にあらためて想像を絶する被災だった。
しかし、被災後一カ月後の写真なのに、どの人も非常に表情が明るくて、笑顔なのにさらに驚いた。
フィリピンの人はなにせ元気で明るく、立ち直りが早いらしい。


レイテ島は台風で大打撃を受けて、何万人とマニラ等に避難していったそうだが、家族親戚が迎えてくれない人は一人もいなかったそうである。
頼る先がない人はゼロ。
それぐらい、家族親戚のつながりが非常に強いそうで、何かの時はお互い助け合う絆が強いそうで、孤独な人など誰もいないという話にとても胸を打たれた。


また、日本では震災の時に略奪がなかったことが奇跡と言われたが、フィリピンは正反対で、ガソリンスタンドが壊れたところにはみんなペットボトルを持って勝手に給油に行くし、スーパーや養豚場にはみんなつめかけて、たくさん食べ物をゲットした人ほど英雄扱いされるそうである。
そうして、みんなで分け合って逞しく生きているそうである。
それもまた興味深く、面白かった。


また、フィリピンの人々は、そうした被災を天罰とは思わないそうだが(というのはみんなが被災しているため)、しかし、神が与えた試練と受けとめる人が多いそうである。
試練だから乗り越えていこう、と強く思う人が多いそうだ。
みんなが受けていることなので天罰ではないが、神が与えた試練だとは思って乗り越えていく、というのは、とても含蓄がある考えに思えて、興味深かった。


あと、コリント人への第二の手紙の一章について御話してくださり、試練のあとには必ず祝福があり、逆に言えば祝福の前には必ず試練がある、苦しみにあっても必ず慰めや励ましがあるというのがこの箇所の心とのことで、Y先生自身、三十数年前、はじめてフィリピンに伝道に行った時は、いきなり盗まれてお金もなくなり、スラム街みたいなところに追いやられて、妊娠中の奥さんを病院に入れるお金もなく、途方に暮れる苦しい時期がしばらくあったそうだが、その後いきなりポンと大きな教会を任されることになったりした、といった御話をしてくださり、感銘深かった。


フィリピンは、客観的な幸福で言えば経済も教育なども日本の方がずっと上なのに、幸福度・幸福感ではフィリピンの方がはるかに高いそうである。
自殺はほぼゼロだし、ひきこもりは完全にゼロ(というのはひきこもる部屋がないので)だそうだ。
それでなぜそれほど幸福かというと、考え方一つというところもあると思うし、家族の絆がとても強いからではないか、という御話で、とても興味深かった。
フィリピンは、国についてはほとんど誰も信用しておらず、国のために死ぬ人など一人もいなくて、そういう意味で特攻など絶対に成り立たない国だが、家族のために命を捨てる人はいくらでもいるそうで、お互いに強い絆で家族や親戚が支え合っているそうである。
人間の本当の姿というのは、そういうものなのかもなぁと聞きながら思った。


あと、「大河にはなれなくても、水一滴ならなれる」ということをおっしゃっていて、先の台風でフィリピンでは四百万人が被災したそうで、そのすべてを一挙に助けることなど誰もできないが、ほんの少しの人にでも力になったり勇気付けたりすることができたら、それがとても大切なのではないかと思う、ということをおっしゃっていて、なるほどと思った。


昼食はみんなでレストランに行き、そのあと解散だったのだけれど、Y先生は特急に乗るというので、私も駅まで一緒に荷物持ち&道案内でご一緒し、いろいろ御話できたのでとても良かった。
私の祖母の弟がレイテ島で戦死したことを話したら、いまは台風の被害でレイテはとても人が来れるところではないけれど、いつか落ち着いたらぜひ来てみてくださいとおっしゃってくださり、本当にいつか行ってみたいと思った。


あと、ふと思い出したけれど、十年ぐらい前、私がよくチャットしていたフィリピン人のチャットモがいて、今は連絡もつかなくなってどこでどうしているかわからないけれど、私の家族が当時亡くなって彼女にその話をしたら、”God has another plan.”と言ってくれて、その言葉が当時もとても心に響いたし今も折々思い出す、あの頃はキリスト教には特に縁はなかったけれど、という話を思い出して話したら、Y先生も、それも何かの縁だったのかもね〜、とおっしゃってくださり、あらためてしみじみそう思った。
本当に、当時はキリスト教にさほど興味もなかったけれど、気が付けば今日はこんな場にいるわけで、何か神の計画の中に、御手のはからいの中に、万事はあるのかもなぁとも思う。


良い一日だった。