新美彰 「フィリピン戦逃避行」

フィリピン戦逃避行―証言 昭和史の断面 (岩波ブックレット)

フィリピン戦逃避行―証言 昭和史の断面 (岩波ブックレット)


著者の方の回想の聞書。
とても考えさせられる、すごい戦時中の体験談だった。

著者の方は、夫がフィリピン勤務だったために夫婦でフィリピンに住み、平和に幸せに暮らし、赤ちゃんも生まれた。

が、やがてアメリカ軍の空襲が始まり、夫は徴兵される。

赤ちゃんを連れて、山の中に逃げていくが、食べるものもないし、軍もろくに守ってくれない。

大変な苦労がリアルにこの本には描かれているが、とうとう赤ちゃんは飢えと病気で死んでしまう。

その数日後、戦争は終わる。

夫は、すでに戦死していたことを後で知る。


この本を読んでいると、いくつもの不条理な話に、なんとも言えない気持ちになる。

著者の夫は、急に徴兵されて、ろくに訓練も装備もない中で、マニラの防衛を命じられ、戦死したらしい。
当時、本当の職業軍人たちは山の中に兵力温存の大義名分のもとに自分たちだけ逃げていき、ろくな訓練も装備もない部隊がマニラで死ぬとわかっていて防衛を命じられほぼ全滅していったらしい。

また、著者の方をはじめ、当時フィリピンには何千人という女性や子供たちもいたので、せめてもこれらの民間人だけでもアメリカ軍に降伏させるようにすれば被害はずっと少なったはずなのに、何の世話もしないのに山中に逃れるように軍は指示したそうだ。

そのため、逃避行における飢えと疲れで、多くの女性や子供が死んだそうである。

女性たちが歩いて道を苦労しながら逃げているのに、軍人たちはトラックに乗ってどんどん山の中に撤退していったという話を読むと、どうも当時の軍隊は民間人を防衛するという意識や任務がほとんどなかったのではないかという気がしてくる。

また、この本を読んでいて考えさせられたのは、現地の人々、特に山の中のイロゴット族という少数民族の人々は、戦争の末期も敗戦後も、まずほとんど日本人に報復しようとはせず、むしろしばしば食べ物をくれたり、非常に親切だったという話である。
日本人は生きるために仕方がないとはいえ、随分と田畑を荒らしたり、物を盗んだり、住居を奪ったり、山を荒らしたそうだが、ほとんどのフィリピン人たちは日本人に対して報復や攻撃をしなかったとこの本に書いてあった。
かえって、何度か食べ物をくれた話が書かれているのには、なんともこのような極限状況の中だけに、胸を打つものがあった。

この戦争の苦労の体験談を聞いていると、理屈ではなく、戦争はやっちゃいかんし、平和というのは本当に尊いものだと、あらためて思わざるを得なかった。