雑感 イスラエルとスリランカのみはある意味うらやましい気がする

日本に生れて良かったと思うし、日本以上に良い国はめったにないとは思うのだが、強いて言えば、イスラエルスリランカだけは、ひょっとしたら日本より幸せかもなぁという気がする。


もちろん、物質的な豊かさでは日本の方が豊かかもしれないし、安定や治安や平和の上でもずっと恵まれているかもしれない。
イスラエルの抱えている安全保障上の脅威というのは日本とは比較にならないだろうし、スリランカもつい最近まで内戦やテロを抱えていた。


ただ、イスラエルスリランカには、確固たる民族の伝統と宗教心と共同体が健在なところが、なんともうらやましい気がする。


おそらく、あんまりどちらの国も、生き方や孤独で悩むという現代日本人の病弊は無縁だろうし、精神的な飢えや渇きというのは無縁なのではなかろうか。
どちらの国にも、確固たる魂の富があり、すぐれた師が山のようにいる。
共同体もずっと確固としていて、年中行事から何から何まで、おのずとビルトインされているようである。


それと比べて、なんと日本は、宗教心も伝統も蒸発し、希薄化してしまったものだろうか。
人間、ただ無難にあくせくと経済のことばかり追いかけて生きるだけでは、なんとも心や魂の渇きは癒されないと思うが、どうもその点が日本は欠落してしまっている気がする。
もちろん、日本にも仏教や神道などが伝統と宗教心を培ってきたと思うし、それらは今もって多くの人の心を癒し潤している面もあるとは思う。
その価値を否定するつもりはないし、大事にしたいとは思うが、どうもユダヤ教や上座仏教ほどは、真剣さや本当の糧としての迫力や豊饒さが、どこまであるのか疑問な面もある。


とはいえ、隣の花は赤いということわざのとおりで、遠くから見るから、イスラエルスリランカも良く見えるのかもしれない。
実際にそこで生きている人には、いろんな悩みや苦しみもあるのだろう。
私が見たことのあるユダヤ人のラビやスリランカの僧侶の方というのは、たぶん本国でも稀な智慧や徳の持ち主だろうから、ああいう方だけを基準にそれらの国を想い描くのも、おそらくは必ずしも的を射たものではないのかもしれない。


人口や国土も、ずっとイスラエルスリランカは日本よりもサイズが小さいので、一国としてまとまりやすくはあるのだろう。


それに、日本にとって韓国や中国のクレームがわずらわしいのをはるかに超えた次元で、イスラエルにとってはパレスチナが、スリランカにとってはタミル分離主義が、国にとって重くのしかかる歴史的な課題ではあるのだろうと思う。


どこにも楽園や理想郷は存在しないのかもしれない。


ただ、そのうえで、イスラエルスリランカだけは、なんだか羨ましい気がするし、アメリカの現代文明などにさほど汚染されもせず、アメリカなどは軽くいなして流して、我が道を歩み続けるのだろうという気がする。


日本における我が道とは、いったい何なのだろう。
それがはっきりせずに、憲法の条文だけいじっても、美しい国など全く実現しえぬのではないかと思う。