- 作者: A.コーヘン,Abraham Cohen,村岡崇光
- 出版社/メーカー: 教文館
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
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ある方から、そのタルムードの英訳の全巻のデータをいただいたので、読もうと思いつつも、いきなりではなかなか歯が立たないので、本書を読み始めた。
とてもわかりやすくタルムードの全体像を解説してあり、ためになった。
本書はまだ第一巻なので、続きも読みたい。
タルムードとは、トーラーの解説書である。
トーラーとは、聖書の中の創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記の五つ、および口伝でユダヤの民にモーゼから伝えられた神の教えである。
タルムードの中には、ハラハーという法解釈とアガダーという説話の部分があり、それぞれを通じて独自の思想や世界観が展開されている。
トーラーには一つも無駄なことはない、全てに意味がある、という観点から、一つの語句に至るまで深読みする精緻な解釈がなされてきた。
この第一巻では、タルムードにおける、神と宇宙と人間についての内容を解説してある。
宇宙の秩序は神の意志に依存している。自然界の諸過程は、神の創造の力が不断に作用し続けていること。
神の存在を信じない者が無神論なのではなく、問題なのは、自分の行為の責任を問われることは決してないと信じている実際的無神論。
神の存在を信じるか信じないかではなく、宇宙には審判も審判者も存在しないと主張する者が問題であるというのが、タルムードの立場。
十戒を否定することは、これを定めた神の否定につながる。
神はこれらの道徳を自ら実践している。人は神に倣うべきである。
神は遍在しており、柴にでもどこにでもいらっしゃる。
人間個人の運命は神によって定められているが、神を敬うかどうかは、その人の選択に委ねられている。
神は愛と正義を混ぜてこの世界をつくった。また、神は、怒りや正義より愛が勝つように祈っている。
神の父性。神は親である。
神の聖性。人の立派な行為は、神の御名を高める。人のけがらわしい行為は、神の御名をけがす。
神はトーラーを見ながら宇宙を創造した。
天には七つの名称。天は七つある。
エヴェン・シュティーヤーという、天地創造の中心となった神殿の土台石。
万物の創造は神の栄光のため。
神は第七天にいるのと同時に、遍在し、近くにまします。
シェヒナー(住まい)、神の光として、人はどこにいても神を感じることができる。
人間の行為や振る舞いにより、シェヒナーも、ルーアハ・ハコーデシュ(聖霊)も、近づきも遠ざかりもする。
良い天使。ガブリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエル。メタトロン、サンダルフォン。
悪い天使。アフ、ヘーマー、ケツェフ、マシュヒット、メハッレ。サマエル。
悪魔とは、人間の悪への衝動(イェツェル・ハッラー)のことともされる。
イスラエルに敵対する者は神に敵対するに等しい。イスラエルを助ける者は神を助けるに等しい。(メヒルタ、第六章)
イスラエルの主な責務は、トーラーを預かり守ること。
異教徒でトーラーを実践する者は、大祭司と同格。
生きている間、本当に大切なものは物質や富より、善行とトーラーである。
死ぬる日は生きる日にまさる。船の出航より、入港が望ましい。
魂には五つの名。
ネフェシュ(血)、ルーアハ(息)、ネシャーマー(性格)、ハッヤー(生きる、永続)、イェヒーダー(単一)。
七つの徳。
信仰、義、正義、親切、慈悲、真理、平和。
信仰とは、神に対する不動の信頼。
信仰は、祈り。神を信じ、神がその被造物に親しくしてくださることを真心から信ずる者だけが、神に願いを述べる。
祈っても答えがなかったら、もう一度祈るべきである。
祈る時は、心をあげよ。
祈る時は、シェヒナーに向き合っていると思わなくてはならない。
悪への衝動の直視。
罪とは、神に対する反逆以外ではない。
中傷は四大重罪のひとつ。
悔い改めこそが重要である。
贖罪は苦しみによって得られる。
苦しみは浄めである。
義人は人々の罪を贖う。
神の経綸は、この世だけでなく、あの世と併せて考えるべきである。
義人は愛されればこそ、苦しみを受ける。
あの世にふさわしい人間に育てられるためである。
幸せな時だけでなく、苦しい時にも、どんな時にも感謝すべきである。
それが、「力を尽して」の意味である。
などなどのタルムードの教えは、とても心に響いた。
ユダヤ五千年の知恵は、本当に深いと思う。
続きもぜひ読み、その上で、本文もどんどん読んでいきたい。