- 作者: ピンハスペリー,手島勲矢,上野正
- 出版社/メーカー: ミルトス
- 発売日: 1988/06
- メディア: 単行本
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すばらしい本だった。
著者はユダヤ教のラビで、三歳から聖書を、六歳からタルムードを学んだとのこと。
トーラーとは、創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記の聖書の最初の五つの書のこと。
この本では、長いユダヤ教の解釈の伝統を踏まえて、トーラーをとても面白くわかりやすく解説してあった。
ユダヤ教の伝統では、トーラーは、あたかも遠くに旅に出ている恋人からの手紙を読むように、一字一句深読みし、眼光紙背に徹して読むという。
そのためか、普通に読むと、一見無味乾燥に見えて読み飛ばしてしまう箇所や、さほどの注意も払わない箇所に、実に深い解釈がなされていて、とても感嘆させられた。
印象深いいくつかのことがあった。
ユダヤ教では、全人類はノアの子(ブネイ・ノア)と考えられている。
ユダヤ人の子どもは生まれたら殺せと王から命じられていたにもかかわらず、それに従わず、生まれた子どもを生かしたシフラとプアというエジプト人の二人の女性こそ、市民的不服従の元祖。
ヒゼキヤの欠点は、神への賛美と歌を歌わなかったこと。
行いつつ聞く。つまりユダヤ教においては、行動と聞くことは表裏一体で、神の教えに耳を開き、耳を傾けることも非常に重要とされていること。
自由への行進は長いものであること。
何をもって主に使えるか、その地にいくまでモーゼも知らなかった。つまり、そのつど、神に聞くことが大切であること。
トーラーは、「汝は聖であれ」という目的に至るための手段であり、それ自体が目的ではないこと。
エトロがモーゼたちの出エジプトの奇跡を喜んだのに対し、他の多くの近隣の諸部族は警戒したり敵意を持ったことから、同じこともどのように聞くかが大事であること。
などなど、なるほどと考えさせられた。
また、レビ記の、一見無味乾燥な箇所への深い解釈は、ただたた驚嘆し、感動した。
たとえば、大祭司の服装がずっと細かく書かれているのだが、そこは、服装は人格をつくる助けになること、さらには、大祭司の服装は両肩に六つずつ合わせて十二のイスラエルの部族の名が書かれ、それらの人々の心を胸に刻むように書かれているが、これは、指導者は人々に担われるのではなく、人々を己の肩に担い、そして自分の心にいつも彼らの心を刻まねばならぬことをあらわしているのだという。
また、レビ記の、牛などの犠牲を「自分の中から」犠牲として捧げなければならない、という記述は、決して余剰のものや他人のものではなく、自分にとってはかけがえのない自分の一部を犠牲にしなさい、という意味だと解釈してあり、なるほどと思った。
今であれば、財産などもそうなのかもしれない。
また、出エジプト記の三十五から四十章に、えんえんと幕屋の建設についての細かな記述があるが、あれは世界初の公開会計報告書で、一銭も私用せず、祭儀のために使ったことをきちんと皆に示すことと、さらにはあらゆる人々の持っている力に応じて拠出してもらったことにより、皆に参加の意識を持たせ、人間は神の協力者であって単に受け身ではなく能動的に働くべきことを伝えている、と解釈してあり、なるほどーっと思った。
また、レビ記の中に、祭壇の上の火と、中の火を絶やさないように、という記述があるが、ヘブライ語だと、この「中の火」というのは、祭壇の中の火というだけでなく、人の心の中の火とも解釈でき、そこから、長いユダヤ教の伝統的な解釈では、祭壇だけでなく、心の中に火を燃やし続けることこそ、最も大切なことだこの箇所を受けとめ、教えてきたとのことも、とても感動させられた。
また、民数記の中のアロンの祝福についても非常に精緻な深い解釈がされており、三つの祝福の言葉は、それぞれ、物質的・知的・霊的な祝福を意味しており、どれも十分あってこそ人は全き幸せとなるというのも、本当に感銘を受けた。
「ウバハルタ・バハイム」、つまり命を選びなさいという申命記の箇所も、つまり生と死のうちで生を選ぶというのは、単に生きているだけでなく、硬直し停まったままの死ではなく、常に成長することを選びなさい、という意味だという解釈が紹介してあり、なるほどと思った。
トーラーの中では、創世記五章一節の神の似姿として人がつくられたという箇所と、レビ記十九章の自分のように隣人を愛しなさいという二つの箇所が一番重要で、合わせて、神が自分を神に似せて創造してくれたように、他人も神が神に似せて創造した尊い存在だとして愛しなさい、ということが書かれてあり、なるほどと思った。
トーラーは本当に深い、汲めども尽きぬ知恵の泉だとあらためて教えられた。
また、繰り返しトーラーを読みたいし、この本のこともしばらくしたら折々に読み直したい。
これほど深いトーラーの解説書にめぐりあえて本当によかった。