クシュナー 「主はわれらの牧者―現代人の心を癒す詩編23のメッセージ」

主はわれらの牧者―現代人の心を癒す詩編23のメッセージ

主はわれらの牧者―現代人の心を癒す詩編23のメッセージ


とても良い本だった。
著者はユダヤ教のラビ。
聖書の詩編の第二十三章を一冊かけてこの本では解説してある。


私が小さい時に若くして亡くなった伯母は、詩編の第二十三章が好きだったそうだ。
直接は伯母からその話を聞くことはできなかったが、ふとそのことを思い出し、感銘深くこの本を読んだ。


著者が言うには、詩編には、人生を変える力があるという。


それは、詩編を唱えたり祈れば、悪いことが何も起こらないという意味ではない。
そうではなく、独りで立ち向かわなければならないのではない、いつも神が共にいると教えてくれ、わかることにより、勇気や慰めを得て、その意味で人生が変わるのだという。


魂は誰もが持っているため、魂を持つためには宗教は必ずしもいらない。
また、完全な人間になるためにも、おそらく宗教は必ずしも必要ではない。
しかし、魂をよみがえらせるためには、宗教でなければならない、と著者は言う。


さまざまなたとえ話も入れてあるが、その中で、出エジプトのあと、モーゼたちは四十年間荒野をさまようが、あれは単なる回り道ではなく、自由にふさわしい人間になるためであった、ということが書かれてあり、なるほどと思った。


また、ブーバーのエピソードを引いて、いかなる人も本当に尊重することが大切であり、それはその人の中にある神の似姿に逆らう罪を犯さないことである、ということが述べられてあり、なるほどと思った。


信仰とは、神の存在を信じることではなく、神が信頼に値することを信じることだ、ということも、なるほどーっと思った。


また、愛とは何かということについて、
「(愛するとは)あなたの身近な存在であることが私にはとても大切だから、私を傷つける力をあなたに渡してもその傷つける力をあなたが使わないことを私は信じる。」
ということだと書いてあって、なるほどーっと思った。


また、15世紀にスペインからユダヤ人が追放になった後、人々の心の支えとなる思想を紡いだイサク・ルリアという中世ユダヤの思想家が紹介されてあって、とても興味深かった。
神の存在の断片を発見し、壊された世界を再び苦労しながら、つなぎ合わせ、取り戻すこと。
「この世界を修復すること」。
そうした思想を、イサク・ルリアは説いたのだという。
それを敷衍して、著者のクシュナーは、私たちは、メシアをただ何もせずに待望するのではなく、私たち一人一人が世界を完全なものにするために、それでも自分ができることを行う大人の態度をとるべきだという。
エリヤ(古代ユダヤの偉大な預言者)がそこにいないなら、私をエリヤのようにならせてください、と言うことを学ぼう、という著者のメッセージは、とても考えさせられた。


また、感謝ということについて、別に神は人間の感謝を必要としているわけではない、私たちが神から受けた多くの祝福を感謝する時、神と世界をこれまでと違ったように感じ、その結果、より幸せな人生を生きるようになる、ということが書かれてあり、なるほどと思った。


私たちが、自分の努力によっては手に入れることができない、神が私たちに与えてくださった贈りものの蓄積として、人生を見るよう学びさえしたら、多くを持てなかったことに不平を言うよりもむしろ、何も持てるはずがなかったのに持っているものに感謝することを学びさえしたら、という言葉も、なるほどーっと考えさせられた。


著者が言うには、私たちを祝福する神の力を受け取ることは、私たちの能力の働きにかかっているそうである。


力むのではなく、肩の力を抜いた時に、恵みと慈しみが人生をに入り込む、と著者は言う。


恵みとは、人生を好ましく感じ、自分を好ましく感じること。
つまり、私が私であることに幸せを感じる、ありのままの私でいい、と自分で納得できること、というのは、なるほどーっと思った。


シナイ山でモーゼたちが神と出会ったというのは、そうでなければ孤独であったろうことから、実は神とともに生きる孤独でない人生が与えられたことであった、という言葉も、なるほどーっと思った。


死の陰の谷についての箇所でも、歩いてその他にを脱け出ていくことが人にはできる、世の中にはいつまでも悲しみにとどまり歩くのをやめてしまって止まっている人がいる、しかし、神とともに歩むことで、人は悲しみがあっても、歩いていくことができる、というメッセージは心に響いた。


とても良い本だった。


詩編 第二十三章」


主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。


主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い


魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。


死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。


わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。


命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。