クシュナー 「モーセに学ぶ 失意を克服する生き方」

モーセに学ぶ 失意を克服する生き方

モーセに学ぶ 失意を克服する生き方

非常に深い、すばらしい本だった。


著者はユダヤ教のラビで、旧約聖書出エジプトで有名なモーゼを素材に、人生について非常に深い洞察と知恵が語られている。


モーゼは、最初の十戒の石板が粉々に砕け散った後も、挫けずに再び立ちあがり、二枚目の石板をつくり民に与えた。


エジプトでの奴隷の境遇から救い出した民から、始終荒野で不平や文句を言われたが、挫けることなく、人々を愛し導き続けた。


そのことの意味を、とても深く、わかりやすく解説してあり、はじめてそれらに思い至った。


モーゼもまた、挫折することもあり、くじけそうな時もあり、どれだけ尽くしても人々から感謝されもせず、文句や不平不満ばかり言われて折れそうな時もあったが、それでもなおかつ、最後まで活力と勇気に満ちていた。


その秘訣は、著者が言うには、モーゼは本当の意味で謙虚だったからという。
一般的な意味で受けとめられる謙虚さや謙遜は、しばしば控えめであることや従順であることだが、モーゼは決してそうではなかった。


本当の意味の謙虚さとは、成功にしろ、失敗にしろ、自分の力のせいだけではない、と知っていることだと、著者は言う。
それゆえ、成功の時もおごりたかぶることはなく、失敗の時も自分を責めすぎて落ち込むことはない。
この世界は、自分のせいだけではない、いろんな複雑な原因や条件がからまっており、自分のせいだけではないことを知って、なおかつ自分としてできることを尽くし、世の中の光と闇も、不完全さも、受け容れるのが、本当の謙虚さという著者のメッセージは、とても心に響いた。


また、アダムとイヴは、アベルとカインの後にセトという子どもが生まれていることに、著者は注意を促している。
これについての創世記は淡々とした記述だが、著者は、これは、アベルとカインの悲劇という、普通ならば心が折れてしまう出来事のあとも、なお夫婦が乗り越えたことを示している、と解釈していて、とても感銘を受けた。


聖書の本文の読みの深さは、本当にユダヤ教の伝統なのだろう。
すごいものである。


モーゼが、岩を叩いて水が噴き出て、そのためにカナンの地に生きている間に行けなくなったことを、著者は、神が怒って罰したのではなく、すべてを一人で成し遂げる必要はなく、次の世代にバトンタッチすべきで、すでに多くの家族を失い、年もとり、疲れ果てたモーゼへの神の優しさだと解釈していたのは、とても納得がいき、深い解釈だと思った。


そして、山の上からカナンの地を遠くのぞみ、さまざまなことがあっても、なおかつ自分の民を祝福したモーゼの姿も、本当に胸を打たれる。


多くの人に読んで欲しい、素晴らしい名著だった。
この本を読めば、きっと、人生を再び立ち上がる元気と勇気がもらえると思う。
私も、一枚目の石板が砕け散ったとしても、また二枚目をつくったモーゼを見習いたいし、そのことを常に忘れないようにしたい。