峠三吉 「原爆詩集」

今日、峠三吉『原爆詩集』を読んだ。
冒頭の有名な詩だけでなく、本当にどの詩も重い、しかし大切な言葉だった。
後世の人間はきちんとこの言葉に耳を傾けるべきなのだろう。
やっと読むことができて良かった。


私は、『日本の原爆記録 第十九巻 原爆詩集 広島編』で読んだのだけれど、
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%88%86%E8%A8%98%E9%8C%B2-19-%E5%AE%B6%E6%B0%B8-%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/482057020X


ネット上でも全文読めるようである。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TOGE/TogePoems.html


最近、韓国の中央日報という新聞が、広島・長崎への原爆投下を「神の懲罰」と形容して物議をかもしたことがあったが、


峠三吉の「炎」という詩には、


「人間が神に加えた 
たしかな火刑。」


という一節があり、真っ向から「神の懲罰」と正反対のことが書いてあった。


つまり、峠三吉は、原爆は、人間が「神の似像」に加えた侮辱であり、「神に加えた火刑」だと述べている。


原爆の本当の悲惨さや屈辱や悲しみを知れば、峠三吉のように思う方が妥当だろう。
これは人間がつくった地獄であり、神にその責任を帰するのは間違っているし、神の似像である人間に対して加えられた途方もない犯罪である。
そのことを、峠三吉の詩は明確に告げている。


また、読んでいて、「微笑」という詩の中の、


「再びおし返してきた戦争への力と
抵抗を失ってゆく人々にむかい」


という一節も、印象的だった。


敗戦からはや六十年以上、今の日本も、いつの間にか人々は抵抗の力を失い、戦争への力がずっと増してきてしまっているのかもしれない。


それを正すためには、やはり峠三吉のこの詩などの、あの時の痛切な思いや願いに立ち返るしかないのだと思う。


「希い」という詩の中の、


「この図のまえに自分の歩みを誓わせ
この歴史のまえに未来を悔あらしめぬよう」


という一節も、本当にそのとおりと思った。


良心の問題として、私は「原爆の図」の絵や、もろもろの写真や、峠三吉たちの詩や、『はだしのゲン』や、もろもろの作品や証言を前にした時に、私はやはり原爆には否としか言いえないし、その声を悔いがないようにあげていきたいと思う。


今、あらためてしっかり耳を傾けるべき貴重な声の一冊だと思った。