水俣病の講演会

今日は、水俣病についての講演会に行った。


講師は、石牟礼道子さん、柳田邦男さん、池澤夏樹さん、語り部の緒方正人さん。
司会は上條恒彦さんだった。


とても深い感銘を受けた。
素晴らしい講演だった。


私は以前から柳田邦男さんのファンで、柳田さんのエッセイには本当にたびたび深く感動し、大きな影響を受けてきた。
いつか直接実物を見てみたいと思っていたので、今回の講演を聴きに来た。


写真では、柳田さんはわりと厳しそうな印象も受ける方だけれど、実物はなんと言えばいいのだろう、本当に優しそうな感じで、語弊を恐れずに言えば、ほとんど「聖人」という感じがした。


御話もとても深く胸を打つもので、私も生前にお会いしたことがあったのだけれど、杉本栄子さんという水俣病語り部の方のことなどを御話くださった。
杉本さんは、杉本さんのお父さんも御自身も水俣病になり、本当につらい思いをし、近所の人々から心ない仕打ちを受けたが、お父さんは杉本さんに、「水俣病はのさり(奇跡的な幸運)だ。そのおかげで、自分たちは被害者にはなったが、加害者にならずに済んだ、人様のつらさがよくわかるようになった。」と言ったという御話をされたという。
その時は杉本さんはまだその言葉がよくわからなかったが、のちに自殺しようと思い、船から海に飛び込んだが、気が付くと海に浮かんでいて、その時にお父さんの言葉が心の底からわかった、という。
その御話は、以前杉本さん御本人からも私は聴いていたのに、長く忘れていた。
今日、柳田さんのおかげで思いだし、不覚にも涙を禁じ得なかった。


また、柳田さんは、水俣病の時と、311の原発事故に関する、官僚や財界人たちの発想や行動に関しては、ほとんど何も変わっていないということを指摘された。
水俣病に関しても小泉政権の時に審議会のメンバーになったが結局答申はろくに生かされなかったこと。
今回の原発事故の調査の仕事も、まだまだ続けて全貌をもっと解明すべきだと主張したのに、中途半端に終わってしまったこと。
それが日本の現状だということをおっしゃられていた。


人間を、人数の数字としてではなく、一人一人の人生として受けとめるべきことを柳田さんが肺腑の底からのような言葉で述べておられたことは、生涯忘れまいと思った。


また、石牟礼さんの講演は、非常に貴重な、おそらく二度と聴けないものだった。
石牟礼さんは、パーキンソン病の症状が進行して、今日も病状によって来れるか来れないかわからなかったそうだけれど、今日のために命がけで来てくださった。
今日を限りにもう講演はしないことにされるそうで、今日が最後の講演だったそうだ。


水俣病が最初にわかりはじめた頃、病院で人のものとは思えない叫び声をしばしば聞いたこと、苦しみのあまりにベッドの横の壁に爪のあとが残る、そういう壁を見たこと。
それらを、絞り出すように語っておられた。


そして、御縁のあった方々すべてに感謝します、と繰り返し御礼の言葉を述べておられ、御一人御一人の行く末のお幸せを念じます、とおっしゃられ、「生死のあわいにあれば」という御自身の詩を朗読してくださった。
会場すべてが大きな感動に包まれて、周囲の多くの人が涙を流して聴いていた。


緒方さんの御話は、水俣病は昭和三十年代からではなく、実はもっと前から、チッソ有機水銀を流し始めたのは昭和七年だし、戦時中頃から鳥や魚の異変が始めっていたこと、を述べておられた。


そのうえで、いつから水俣病が始まったかということを考えると、「人間が人間を人間と思わなくなった」時からなのではないかと思う、と述べられ、裁判の判決が出ても、いかに行政が患者の認定範囲を狭くしようとし、責任を逃れてこようとしたか、ということを述べておられた。


しかし、現代は、たとえばPM2.5のように、水俣病と異なり、加害者を特定することができなくなってきた、現代人は、加害性と被害性を併せ持つ存在になった、人間というのはどうしようもなく愚かであやういものだと思う、しかし、そうであればこそ、「共に立つ場」をなんとか持ち、誰かを敵としたり憎んだり、あるいは無視するのでなく、共に立ち、どうすればいいかを考えるしかないのではないかと思う、とおっしゃっておられた。


緒方さんは本当に実直な、あたたかそうな方だった。
子どもの時に御自身も水俣病だと認定され、お父さんは水俣病で、緒方さんが六歳の時に亡くなったそうである。


池澤夏樹さんは、人間の不幸を生み出すものに三種類があるという話をされた。
ひとつめは、自然によって生じること。
ふたつめは、人と人との間のこと。
みっつめは、会社や社会や国家によって生じること。


ひとつめは、これはいわば仕方がないことである。
ふたつめは、これがほとんどの小説のテーマであり、愛情や、時に憎しみが生じるが、しかしこれはすべて、お互いに顔を知っている者同士に生じる問題である。


しかし、三番目のものは、顔が見えない、人間を人間として知らない、見ていないところで引き起こされるもので、戦争の空爆や遠隔操作による攻撃などもそうだし、水俣病の被害も、いわばそこにおいて起ったものだった。


一番目のものは、耐えるしかない。
二番目のものは、人間同士の不幸は、生きている間の課題。
三番目のものは、闘って、おかしいことには声をあげ、裁判や選挙で闘って、制度や仕組みを変えていくしかない。


という御話だった。


池澤さんも、実物はとても明るい印象を受ける、とても好印象を受ける方だった。


司会の上條さんは、ギターで二曲歌も歌ってくださり、どちらもとても良い歌だった。
「生きるとは借りをつくること、その借りを返して生きよう」という内容の歌詞の歌と、石牟礼さんの詩を歌にした「花あかり」という歌だったが、どちらも感銘深かった。


実は、朝、会場に向かう時に、ちょうどエレベーターに乗っていたら、その時はそうと気づかなかったのだけれど、ギターを抱えたわりと大きなおじいさんが入ってきて、とても若くて精悍な雰囲気で、えらいかっこいいおじいさんだなぁと思っていたら、あとで上條さんだったと気付いた。


今日は、本当に貴重な御話を聴くことができた。


今日聞いたことを、忘れないように、時折しっかり思いだし、また石牟礼さんや柳田さんや池澤さんの本を、もっとしっかり読んでいきたいと思った。


人間の存在をきちんと認める社会。
そのあたりまえのことが、なんとしばしばおろそかにされてきたことだろう。
そして、そのようなありかたは、めぐりめぐって、一見直接は関係ないように思っている、すべての人に関わってくることなのだと思う。