尹東柱のこと

尹東柱の没後七十周年記念として開催された尹東柱の甥にあたる尹仁石さんの講演を聞きに行った。
とても胸を打たれる御話だった。

尹仁石さんの家族に伝わる尹東柱やその祖父母、両親、伯父伯母、兄弟たちなどの数々の貴重な写真をスライドで紹介しながら、いろんな家族に伝わる御話をしてくださった。
尹東柱がいかに家族や友人たちに愛されて育ち、また多くの人を愛したか、その愛がずっと今に至るまで続いているか伝わってきて、思わず最後の方は不覚にも涙した。

尹東柱は、1945年、戦争が終るおよそ半年前に、日本の特高警察に捕まって福岡の刑務所に入れられ、そこで亡くなっている。
一緒に刑務所に入っていた他の人の話によると、妙な注射を打たれていたとのことで、人体実験に使われて亡くなったのではないかとも言われている。

そのような非業の死だったわけだけれど、尹東柱の詩を愛する人の輪が戦後にも静かに広がっていき、日本でも茨木のりこさんをはじめとした多くの人の尽力により翻訳詩集が出版され、この二十年間ほど福岡の地でも尹東柱の詩を読む会(私の知人もその一人)が地道に活動を続けてきて、今日その縁で尹東柱の甥の尹仁石さんが来て貴重な御話をしてくださったことに、深く感動した。

尹東柱の詩は、二十年ぐらい前、高校の時にはじめて当時翻訳詩集が出版されてテレビや新聞で取り上げられていたので知って当時も感動したけれど、あらためて今日はその詩に深く胸打たれたし、またあらためて読み直したいと思った。

甥の尹仁石さんは、講演の最後では特に後藤健二さんと湯川遥菜さんについて言及して、その死を悼み、涙まで流してくださった。
尹東柱がそうだったように、ご家族も本当に暖かな、優しい心を持っておられることに深く胸打たれた。

講演のあと、展示してある尹東柱の自筆原稿などを見て、なんと言えばいいのだろう、一言で言うと、本当に「愛」の人だったんだなぁと思った。
そして、これほど心優しく豊かな人を、当時の残酷な時代が、というかはっきり言えば日本は、無残にも殺してしまった。
そのことにあらためて心が痛むし、にもかかわらず、そうした残酷なこの世のむごさに負けずに、尹東柱の愛や思いがきちんと後世に詩を通じて伝わり芽吹いて広まり続けていることに、本当に強いものは愛だなぁとしみじみ感じた。



尹東柱「序詩」 (伊吹郷訳)


死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば


今宵も星が空に吹きさらされる。