ただ一つ知っているのは

今日、ヨハネによる福音書を読んでいたら、格別心に響く箇所があった。


九章二十五節の以下の箇所である。



“Whether he is a sinner or not, I don’t know. One thing I do know. I was blind but now I see!”


「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」



これは、目が見えなかった人が、イエスによって目が見えるようになり、そのことについてパリサイ人たちに責められて質問された時に、目が見えるようになった人が答えた言葉である。


この言葉、英訳で見ると明らかによくわかるけれど、「アメイジング・グレイス」の歌詞の源はこの箇所に間違いない。


かつては目が見えなかった私が、今は見えるようになった。


この聖書の中の、目が見えるようになった人の言葉に、「アメイジング・グレイス」の歌詞をつくったジョン・ニュートンは、奴隷貿易船の船長だった過去と牧師になった現在とを持つ自分の人生を重ね合わせて、あの歌をつくったのだろう。


思えば、私も、なんと盲目だったことだろう。


過去に多くの、目の見えていないことがあった。


罪を罪とも知らず、多くの過ちを犯してきた。


にもかかわらず、神仏によって滅ぼされることもなく、むしろ守られて、今まで生きてきた。
そして、幸いにも、素直に神や仏の言葉に耳を傾けるようにいつの間にか導かれてきた。


それはやはり、驚くべき恵みだったのだと思う。


“I was blind but now I see.”


ひとたび目が見えるようになったのであれば、光を見失わないように、闇ではなく光に従って生きていこう。


今日は、あらためてヨハネによる福音書を最初から最後まで読み直したが、あらためて深い感動とともにそのことを思った。