映画「アメイジング・グレイス」を再び見た

昨夜、ふと再び、映画『アメイジング・グレイス』を見たくなり、この前、ある方からDVDをいただいたので、見始め、ちょっとずつ見て、今日見終わった。


ちょうど去年の今頃、DVDではじめて見た。


一年経って二度目見たけれど、あらためてとても良い映画だった。


この一年の間に、この映画に出てくるジョン・ニュートンとイクイアーノの自伝も読んだ。

いろいろと、黒人奴隷制に関する歴史の本なども多数読んだ。


一年あると、いろいろと知識を自分なりに深めることができるものである。


あらためてこの作品を見ていて思ったことは、世の中を変えるためには、途方もない時間と持続力が必要ということである。


映画には、奴隷貿易を廃止しようとする主人公のウィルバーフォースの前に、議会で力を持っている多くの、もっともらしい理屈をつけて奴隷貿易を維持しようとする人々の姿が描かれる。


率直に言って、原発を維持しようともっともらしいことを述べている自民党と御用学者たちが、それらのイギリスのかつての守旧派と重なって見えてしかたなかった。


それらの抵抗にめげず、十五〜二十年かけて、さまざまな努力をして、奴隷貿易廃止の法案を通したウィルバーフォースらは、本当に偉大だと思う。


また、何事もそれぐらい時間がかかることをあらためて思った。
世の中には、再エネ法等を実現した菅さんたちに対し、脱原発に対して本気でなかっただの無能だっただの批判する自称脱原発派がしばしばいる。
それらの人は、現実を変えることがどれほど大変か、そしてどれほどの労力と時間を要するか、全然想像力も知識もないのだろう。
ウィルバーフォースやリンカーンを叩きのめした急進派も当時いたようだけれど、それらと同等かそれ以上に、今の日本の一部の自称脱原発派は愚かしいと思う。


今の日本に必要なのは、もっともらしい理屈をつけて変えることを拒む人々でも、地に足のつかない急な変革を主張し現実に努力している人々を叩きのめす人々でもなく、ウィルバーフォースやピットのように着実に地道に努力を積み重ねる人なのだと思う。


あらためて大きな勇気をもらう、すばらしい作品だった。


今度は、18〜19世紀のイギリス史や貿易史なども、せっせと勉強しよう。