広瀬淡窓 約言 メモ

広瀬淡窓 約言メモ  266


昔、我(われ)、先王は西土に通信し、虞・夏・商・周の書、以て邦典と為す。これより以来、千有五百年、まさに今の時、文教大いに闡(ひら)く。家は詩書を誦し、人は周孔を談ず。盛んなりと謂うべし。ただし、経芸は浩博にして、窮究(きわ)めるに易からず。凡百(すべて)の君子は、おのおのその職あり。もとより学に終身するあたわず。ゆえに、上の者は独り訓詁を明らかにし、下の者は句読に通じるのみ。義理の帰するところに至っては、すなわちこれあるいは詳らかならず。
それ先聖の名教を設けるは、喩えるを易きとす。今その名に眩んで、その実を失う。後儒の疏解を作るは、入るを易きと為す。今、その多きは苦しみて、その岐に迷う。けだし博きに務めて方無し。西人のその智を成すゆえんは、約を守りて貳(ふたつ)ならず。東方のその強を養うゆえんは、土風すでに殊(すぐ)れ、教えの術を施す。また一とすべからざるなり。
先賢のいわく、博学にしてこれを詳説す、まさに以てかえって約を説くべしと。予、これを見るありて、ひそかに六経の中に就いてその要義を采(と)る。敷いてこれを衍じ、数千言と為す。務めてその言を明白にし、その義を平易にす。かえってまた喩えを開く。要は先聖立教の本旨をして瞭然に見るべからしむるに在り。題して約言という。世の博く暇ならざる者は、これによってこれを求めれば、それあるいは庶幾(ちか)からんか。

六経の旨、一言にして尽すべし、敬天これなり。
それ万物の生、いずこより出づ。しかして、その死、いずこにか帰す。誰かこれを夭(わかじに)するを寿(ことほ)がん。誰かこれを達するを窮めん。もとより吾人の測り知る所にあらず。
古昔(いにしえ)の聖人は、仰観し俯察し、宇宙の理を窮む。以てかの蒼々の中に主宰者の存する有るを知る。すなわちこれを尊んで上帝という。猶(なお)し人間に帝王あるがごとし。
天の為すところ、これを称(よ)んで命という。猶(なお)し王者は命令あるがごとし。また、天意のあるところを推してこれを論じていわく、天は万民を以て子と為す者なり。父母は衆(おお)くの子において、その相(たがいに)愛するを欲す。その相(たがいに)害するを欲さず。
故に天の道は、善を好みて悪をにくむ。人の道は福を好みて禍(わざわい)をにくむ。相(たがいに)生(はぐく)み相(たがいに)養うは善なり。相奪い相殺すは悪なり。富貴・寿・考は福なり。貧賤・死亡は禍なり。人、天の好むところを行ずれば、天またその好むところを以てこれを命ず。人、天のにくむところを行ずれば、天またそのにくむところを以てこれを命ず。ここにおいて、これを人倫と叙(の)べ、これに名教を設く。礼楽を以て導き、刑政を以て督す。務めて天下の人をして相(たがいに)生(はぐく)み相(たがい)に養わせ、しかして相奪い相殺すの路を遠ざからしむ。しかる後に天の意は達すべし。民の福は致すべし。これ聖人の志なり。


均しくこれ人や、あるいは王侯と為り、臣・庶と為る。天の命ずるところなり。ゆえに上の、下において、頑魯聾迷の徒ありといえども、あえて之を愛育せざることあらず。いわく、これ天の我に命じてこれを教うなりと。まさにそれ上を犯して乱をなすべきは、また自ら責めていわく、いずくんぞ我、教導の宜しきを失し、天職を廃するに非ざるを知らんや。
下の上において、労役煩苦の事ありといえども、あえてこれを供給せずんばあらず。いわく、天、我に命じて、これを奉ずるなり。あるいは、暴君虐政に遇いて、また自ら懼(おそ)れていわく、いずくんぞ我が奉養至らず、天誅を招くにあらざるを知らんやと。これ聖人の教えを立つるの旨なり。もしそれしからずんば、王侯必ずいわく、氓(ながれもの)の蚩蚩たる、禽畜何ぞ択ばんや、鞭(むちうつ)や箠(むちうつ)や、ただ我にあるのみ。下民必ずいわく、我を撫すれば則ち后なり、我を虐すれば則ち讎なりと。これを奉じこれを廃す、なんそれず常これあらんや。ここに上下相侮りて謂うは、大乱の道なり。ただそれ天命を以て教えを立て、君民和睦し、禍害生じず、三代の久しきに天下を保つ。これを以てなり。


父母の我を育む、妻子の我に奉ず、兄弟・朋友の我とともに相助く。皆、天命なり。故に我必ず孝なるのみ、慈なるのみ、友に悌にして忠信なるのみ。これ敬天の道なり。もしそれしからずんば、父母我を赦(ゆる)し、妻子・兄弟の我を恕(ゆる)すといえども、天を慢(あなど)るの罪、終に免るを得ず。
故にいわく、君子は天命を畏る。もし我その道を尽さば、彼、横逆を以て報ふ。君子すなわちいわく、彼もまた人なるのみ。天と神との霊を有するに非ず。それ我を知らざるも、我何すれぞこれを怨まんや。かつ我すでにその道を尽す。天必ずこれを知る。天必ずこれに報ゆ。また何ぞ人これを知りてこれに報ゆるを求めんや。故にいわく、君子は躬(み)自ら厚くして人を責むるに薄きなり。


敬天の旨、天命を楽しむを以て主とす。それ生あるのものは、孰(だれ)か命を天に稟(う)けざるや。しかして、人の羽毛鱗介において、貴賤同じからず。苦楽逈(はるか)に殊(こと)なり。我すでに人となるを得。もし貧を厭い、富を欣(よろこ)び、夭(わかじに)をにくみ、寿(ながいき)を慕う。あに足るを知らざるの甚だしきならんや。ゆえに人身は得難きなり、天徳は報い難きなり。君子は貧賤に処して憂いず。患難を践(ふ)んで懼(おそ)れず。天を助け、物を済(すく)い、以てその徳に報ゆるを思うのみ。蓋し、善を為す者、三等あり。ただ天徳に報いて、天福を希(ねが)わず、上なり。天福を希(ねが)うといえども、報いを責めず、これ次なり、人の報いを責むる、これ次なり。人に報いを責む、これ下とすなり。


人に施し恵む者あり。いわく、必ず重報ありと。貪りと謂うべし。いわく、財を軽んじ義を重んずるの志を明らかにするを欲するのみ。名を好むと謂うべし。いわく、我その溝壑に転じるを視るに忍ばずなりと。慈心あるのみ。いわく、彼また天の子なり、これを済(すく)うは天に事(つか)える所以なりと。敬天の義に合するのみ。恵みを施すは一なり。貪と為り、好名と為り、慈と為り、敬天と為る。ただその心に存するところなり。ゆえに天を敬う者は、行うこと未だ必ず人に異ならず。しかして、造物者とともに徒(あゆみ)を為せり。


人の言にいわく、福を求めずして善を行う。禍を畏れずして悪を去る。この果は上天の命ずるところを楽しむ。あえて希望せざらんや。それ聖人を去ること遠からず。もし天道知ることなきを以て、吾好むところに従って已(や)むるか。いわゆる天命を知らずして畏れざるなり。悪を為さずというといえども、あに小人の帰を免るべけんや。


天下の難事に処し、疑い惑わされるところ無き者は、それただ敬天か。我は湯武革命においてこれを見る。桀紂は暴なりといえども、また王者の統なり。これを放ち、これを伐す。まさに何をか取らるべきか。これ古えの帝王の法を取るや。異なる代の聖人は、今の王に親しまず。億兆の望みか。下民衆(おお)しといえども、いずれか天子の尊きと、我が心の是(がえんず)るところとを選ぶや。まだ我が心を以てこれを君上に加うる者を聞かず。三者は以てこれを行うべからず。すなわち、ただ天命に有るのみ。何をか天命という。三者これなり。古えの帝王の法、天以て我を訓(おし)うなり。億兆の望み、天以て我を誘う。我が心昧(くら)まず。天の我れを以て是非を断ぜしむるなり。命の在るところ、また何ぞ疑わんや。聖人の意は、あるいはかくのごときか。故に敬天の義は立たず。すなわち古えは法とする所無し。知は施す所無し。正は興す所無し。邪は廃する所無し。世人は道を言う。あるいはこれを己の心を本とす。あるいはこれを聖人を本とす。これ河原に積む石に崑崙を求めるなり。なお星宿の海の者にあらざるがごときか。