- 作者: 別宮貞徳,ピーターミルワード,Peter Milward
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1990/09
- メディア: 新書
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たまたま先日読み始めたら、とても面白かった。
ところどころ、はっとさせられることが書いてあって、ためになった。
特に、印象的だったのは、
「一言で言えば、人間はエデンの園に住むようにつくられている。」
という一節。
なるほどなぁ。
しかし、神の善意を疑い、背くようになってから、そうでなくなってしまったということを、寓意的にあの物語は現しているのだろう。
知識の木ともう一方の木、つまり生命の木とは、真の愛に立ち返ることで、そのことを福音書ではぶどうの木と表現しているのだろう。
あと、なるほどーっと思ったのは、福音書における二つの掟、つまり神を愛し、隣人を愛す、という前者のことについて、見たこともない神をどうやって愛するのかという問いに対して、神が創造した自然を愛し、自然を賛美することが、この第一の掟につながる、と述べられていたことだ。
なるほど、と思う。
私も、自分自身でいろんな海や山や花のきれいな場所を訪れたり、星野道夫さんなどの大自然の写真集や紀行文を読んでいると、とても救われた気がする。
人間は自然を観照することこそが、たしかにこの第一のことの実践なのかもしれない。
あともうひとつ、なるほどと思ったのは、進歩と独創という近代の理想が色あせたあと、現代では「アイデンティティ」がやたらと強調されるが、国民性などを求めても本当のアイデンティティは見つかるはずがない、「ずっと変わらぬ人間」を見出してこそ、本当のアイデンティティは見いだされる、という主張だ。
つまり、心の奥底に本当に語りかけるもの、現代社会の心の闇を明るくしてくれるものをこそ求めるべきで、狭い国民性や時代性に求めても、本当のアイデンティティは得られない、ということである。
全くそのとおりと思う。
本当の国際性とは、その道にあり、国際的な理想こそが大事であり、アイデンティティはその中にある、という著者の言葉は、全くそのとおりと思う。
どうも昨今は、アイデンティティやらナショナリズムやらリベラル・ナショナリズムといったことが言われるが、漠然と違和感を感じてきたのは、要はそこにあったのかと思った。
日本の特定の時代や国民性に同一性を求めても、そんなものはどんどん変化していくのだからアイデンティティ欲求が満たされるはずはなく、むしろ本当の人間であること、古今東西の普遍的な古典の教養に支えられた、独立自尊の人間となってこそ、アイデンティティも満たされるのだと、あらためて思った。
あと、ミルトンの「最後は最良」や、ノリッジのデーム・ジュリアンという人の「すべては良くなる」という言葉も印象的だった。
ハムレットの「(人間とは)前と後ろを見る生きもの」という言葉も引用されているが、そうであればこそ、人間は最終的には希望や楽観を持った方がいいのかもしれない。
「未来の理想と過去の出来事を、今自分の心の奥底で実現されているものとして認識」するということを著者は述べているが、これは確かにとても大事なことだと思う。
創世記や福音書を、あるいは浄土三部経でもいいのだけれど、自分と他人事と考えるか、あるいは自分の心の奥底にいま実現しているものとして受けとめるかは、大きな違いがその人にとって生じることだろう。
また、知恵とは神を畏れること、神を畏れるとは自らの存在の根源としての存在を認めること、というのも、なるほどーっと思った。
いろいろとインスパイアされる本だった。
著者の他の本も読んでみたい。