友情について

箴言を読んでいたら、こんな言葉があった。


A friend loves at all times,
and a brother is born for a time of adversity.
(Proverbs 17.17)


どのようなときにも、友を愛すれば
苦難のときの兄弟が生まれる。
箴言 第十七章 第十七節)


率直に友情の大切さを讃えた言葉で、シンプルなだけに美しく心に響く。


本当に、そのとおりだと思う。
しかし、どのような時も変わらぬ友情を持ってくれる友人というのは、世の中にどれほど珍しいことだろう。
順調な時はそれなりに付き合いのある人が、逆境になると潮が引くように去っていくということはよくある話である。


そういえば、私が小さい頃、よく父から聞かされた歴史の話で、こんな話がある。


戦国時代、あるお茶の席があり、大名たちがお茶を点てて回し飲みをしたことがあったそうである。
その時、大谷吉継の番が来て、呑み終わって次に回す時に、顔に覆っていた布の合間から、皮膚の一部がぽとっと落ちてお茶の中に入ったそうである。
大谷吉継癩病だった。


周りの人々は皆青ざめ、大谷吉継自身も青ざめた。


その時に、その場にいた石田三成がさっと前に進み出て座り、御免、と言ってその茶碗をとって全部飲み欲した。
あまりに結構な御点前でいただきたくなり失礼しました、とまたさっと自分の席に戻っていったそうである。


もし誰かが飲まなければ、吉継は大恥を欠くところだったのを、三成が咄嗟の機転で救ったのだった。


その後、関ケ原の戦いになった時に、大谷吉継はもともと徳川家康とも親しく、家康は大きな報酬を示して味方に付くように誘ったし、東軍が勝つであろうことは吉継もわかっていた。


しかし、その茶会の席でのことを忘れず、家康の誘いを断り、西軍について、誰よりも勇敢に戦い三成のために命を捨てたそうである。


これが史実なのか、諸説あるみたいでよくわからないし、吉継が西軍に加勢した理由もいろんな受けとめ方があるのだろう。
ただ、これは友情の大切さを教えるエピソードとしては、そのまま事実かどうかは後世の人間にとってはわからないとしても、まぎれもなく真実と思う。


そういえば、小さい頃読んだ歴史の本では、二つ印象的なエピソードがあった。


ひとつは、ナポレオンが少年の頃、ナポレオンだけはコルシカの田舎の貧乏な家の出身で、幼年学校では人と打ち解けることができず孤立しいじめられていた時に、ブーリエンヌという同級生だけは親切で仲が良かったという。
その後、ナポレオンが立身出世すると、ブーリエンヌは秘書官に抜擢されたという。


また、もう一つの話は、徳川家康が小さい時に今川義元の人質となって過ごしていた時に、今川の武士たちの子どもは人質の子どもとして家康につらくあたり、冷淡な態度だった中で、岡部正綱という今川の武士の子どもだけは家康に親切でいつも仲良く過ごしたという。
その後、岡部正綱は今川の武士となり、今川家に忠義を尽して織田や徳川と戦い続け、今川が滅びた後は武田家に仕えて、織田や徳川と勇敢に戦い続けた。
武田が敗れていった時に、当然岡部正綱は自分の命はないものと思っていたら、家康は小さい時の友情を忘れず、正綱をあたたかく迎えて厚遇し、のちに天下をとると岡部家は大名に抜擢され、明治になるまで栄えたという。


これらのエピソードを読んでいると、たしかにどのような時にも友を愛し、親切にすることは、その人の苦難の時に何よりも得難い兄弟をもたらすことになるのだなぁと思う。


もちろん、べつに歴史に名が残っていないごく普通の庶民のそれぞれの人生の中で、そうした話は山のようにあるのだろう。
私もまた、苦難の時に支えてくれた友人が幾人かいる。
彼らの苦難の時にはどんなことでもしなければと思う。


どれほど権勢を振るっても、周囲が裏切ってばかりいる人がいる。
金持ちであっても、本当の意味では孤独な人がいるようである。
それらの人は、ましてや落ち目になったら目も当てられない。


金や権力や地位よりも大切なことは、どのような時も友を愛することなのだろう。
しかし、人は簡単にそのことをともすれば忘れてしまいがちだからこそ、繰り返し知恵の言葉を読むことが大切なのかもしれない。