湯浅誠 「ヒーローを待っていても世界は変わらない」を読んで

ヒーローを待っていても世界は変わらない

ヒーローを待っていても世界は変わらない



この本は、現代の日本を生きるすべての人にとって必読の本だと思う。
私たちが今後いかに、この時代に、この社会に向き合うべきか、とても参考になる。
ここに盛り込まれた知見や知恵が生かされるか生かされないかで、私たちの今後の運命はかなり大きく変わるだろう。


著者の湯浅誠さんは、貧困問題や派遣村に関わり、民主党政権の間は菅直人副総理(のちに総理)に協力を要請されて内閣府参与となった。
在野の社会運動と、政府の中での仕事と、両方をしてきた体験から、日本が今後どのようにしていくことが大切と思うかをこの本の中ではわかりやすく述べてある。


今の日本の閉塞感や息苦しさや、徐々に日本全体の国力が衰退してきたことは、多くの人々も漠然と感じていることだとは思うが、湯浅さんもその問題に焦点を絞り、ではどうすればいいかを考えている。


湯浅さんは、民主主義というのは、基本的に、みんなで話し合っていろんな利害を調整し合うものなのだから、とてつもなく手間暇がかかる、いわばめんどくさいものなのだということを指摘する。
それに対して、昨今は、一気に物事を片付けよう、あるいは一気に解決して欲しい、という要求や感じ方が高まっている。


しかし、魔法のボタンなどはどこにも存在しない。
既得権益をやっつけて欲しいと誰かに権力を任せれば、実は自分自身がやっつけられていた、という危険が十分にある。
それが今の世の中だということをわかりやすく指摘する。


ヒーローを待望しても、どこにもすべてを都合よく解決してくれるヒーローなどいない。
この日本は、一億二千万のすべての人が、それぞれ一人ひとりの必死の生活とそこから出てくるニーズを持っている。
それを、地道に、お互いにすり合わせて、意見の調整と知恵の出しあいをし、利害を調整し、合意を形成していくしかない。
それが民主主義だと湯浅さんは説く。
つまり、調整の手間暇と、自分が享受する自由や力というのはワンセットであり、どちらかを捨ててどちらかだけを得るということは不可能だという。


できうる限り、できる範囲で、社会の問題を自らが担い、そして政治に対してもお客様としてではなく、政治家や政党を自分たちの代表として支え育て、目に見える政治よりも社会の力関係こそが政治を決定する力学だと心得て、地道に社会全体の意見を変えるように努め、すり合わせていくこと。


そのためには、「最善を求めつつ、最悪を避ける」という思慮深い姿勢が必要である。
また、自分とは異なる利害や経験を持った人々が世の中にはさまざまにいるという「距離の自覚」に基づいた上で、「通じる言葉」をお互いに見つけていく努力が不可欠である。
さらには、何よりも、耳を傾け合うことが大切だ、ということを、湯浅さんはわかりやすく説き明かしている。


「壊す時には、壊す前にその建物がなぜ建てられていたかを考えてみる」
ということの大切さを指摘し、日本社会の抱える問題を突破するために安易にぶっ壊したりリセットしたりするのではなく、今すでにある社会保障の制度やさまざまな制度を、なぜそれらがあるのか、どのようにうまく活かしていくのかの知恵が大切だという湯浅さんの姿勢は、日本の通俗的な意味の保守・革新のレッテル貼りではない、言葉の本来の意味での保守主義の最良の精神を現しているのではないかと読んでいて私は思った。


誰かの社会保障や福祉を削っていくことは、まわりまわって自分にはねかえってくるかもしれないし、その削られた福祉を必要としていた家族の負担を重くすることで、社会全体の動きを鈍くすることになりかねない。
極度な自己責任や個人主義には還元されない、人間を支えるものとしての「溜め」が存在しない社会は、非常に脆弱であり、活力が失われるということ。
そのことを湯浅さんはわかりやすく指摘している。


介護の問題で苦しんでいる人は、介護に追われて忙しいため、介護制度に関して声をあげることができない。
そうであればこそ、「私たち」が、自分は声をあげられない状態にいると感じている人々の苦しみに寄り添い耳を傾け、苦しみを共有し、抜け出る道を一緒に探すことがないと、社会のフラストレーションや問題は解決しない。


でかいことをするのではなく、そうした身の周りの地域の課題に耳を傾け、担っていくことが、実は最も大切なことである。
しかし、日本には、ゼロから人と人の関係を結び直していくスキルやノウハウが不十分である。
社会とはそもそも巨大な無縁社会であり、日本型雇用体系や日本型福祉社会の崩壊過程にある現在において、いかに「人と人との関係の結びなおし」をしていくか。
そこにこそ、本当の意味での「ヒーロー」が求められているし、それを担っている無数の人々がそれぞれに本当のヒーローである。


そういうことが、この本では言われているのだと、私は読んで受けとめたし、とても共感させられた。


この本のラストの、


「だから「誰か決めてくれよ。ただし自分の思い通りに」と言う人を見たら、ヒーローを求める気持ちの奥にある焦りや苛立ちにこそ寄り添い、それに向き合って一緒に解決していくことこそ、自分へのチャレンジだと感じるようになります。
「誰の責任だ」と目を血走らせるより、課題を自分のものとして引き受け、自分にできることを考えるようになります。
「決められる」とか「決められない」とかではなく、「自分たちで決める」のが常識になります。
 そのとき、議会政治と政党政治の危機は回避され、切り込み隊長としてのヒーローを待ち望んだ歴史は、過去のものとなります。
 ヒーローを待っていても、世界は変わらない。誰かを悪者に仕立て上げるだけでは、世界はよくならない。
 ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。
 私たちにできることはたくさんあります。それをやりましょう。
 その積み重ねだけが、社会を豊かにします。」


という一文は、本当に共感させられた。