西郷さんの命日

今日は、西郷さんの命日。


昔、城山で、西郷さんを囲んで桐野利秋たちの墓がずらっと並んでいるのを見た時、その絆の深さに胸を打たれた。


玉砕の前の晩、全員でラマルセイエーズを歌ったというエピソードも感慨深い。


西南戦争は不可解な、非合理な行動だったけれど、男のロマンの極みなのかもしれない。


もっとも、男のロマンで何万人もの悲惨な犠牲を出すのは理性の上から論じればとんでもないことで、西郷さんたちに限りない哀惜を覚えながらも、容赦なく鎮圧した政府側の人々の方が、合理的に正しい立場ではあったのだろう。


大山巌はその点は興味深い人物で、あまり多くを語らないけれど、きっと立派な人物だったのだろうという気がする。
鶴見俊輔さんの本に書いてあったが、晩年の大山巌に道で出会った小学生だった鶴見さんたちがあいさつしたら、きちっと挨拶を返したという。


大山のそういう人間としてのまともさは、西郷さんからの影響や薫陶があったような気がするし、そういう人たちがまだ政府の中枢に残っていた時代が、かろうじて日本がまともだった時代だった気がする。


そういえば、坂本龍馬が亡くなった後、お龍さんが東京に行った時に、他の人々は皆偉そうにしていた中で、西郷さんだけは昔と変わらず質素な生活をし、お龍さんにも昔と変わらずとても丁寧な態度だったという話を何かで聞いたことがある。


そういうエピソードを考えると、西郷さんは立派な人だったのだろうと思う。
東郷平八郎は留学先のイギリスで西郷の死を聴くと、自分も一緒に死にたかったとはらはらと泣いたというエピソードを聞いたことがあるが、きっとそれだけの人をひきつけてやまない徳が西郷さんにはあったのだろう。


政治家としては、たぶん、穏健な進歩主義者だった木戸孝允伊藤博文が最も穏当で正当な認識と立場だったのだろうけれど、西郷さんの一種想像を絶した迫力と人徳の力がなければ、とても維新も、明治初年の諸改革もできなかったのだろう。


福沢諭吉は西郷さんを維新の最大の功労者と言い、賊軍とされた時期においても終始弁護し続け、上野の銅像をつくる時にも尽力した。
西郷さんも、大山巌が福沢の『文明論之概略』を送るときちんと読んで、とても感心し、目が開けた思いがする、と読後感を書簡に残している。


福沢の書物を読んで理解していた西郷さんの柔軟性には驚くし、封建士族の反動とずっと後世でも切り捨てられがちな西南戦争の時期から西郷さんを弁護しその功績を擁護した福沢のまなざしの深さにも深い感慨がある。
明治の人というのは、後世の人に比べて、一体に深い気がする。