憲法九条、あしたを変える―小田実の志を受けついで

鶴見俊輔加藤周一大江健三郎井上ひさし、などの人たちが、小田実を追悼して書いた小文を集めた本で、なかなか面白かった。


その中で、沢地久枝さんの書いている文章の中にあったのだけれど、


小田実は、


「ひとりでもやる。ひとりでもやめる」


ということを言っていたらしい。


なるほどーっと思った。


これが大事な精神かもしれないなぁ。


あと、鶴見俊輔の書いている一文に、


小田実は、


「人間チョボチョボ」


ということをよく言っていたとのことが書いてあった。


いわば、人間というのは、よく間違える、たいしたことのない存在だから、いろんな批判を排除せず、失敗をきちんと受け入れ検討して、試行錯誤しながら進んでいくという、「常識主義」の哲学を持っていた、ということを述べていた。


なるほどーっと思った。


「人間チョボチョボ」ぐらいに思って、批判を排除せず、失敗を恐れず、失敗を生かし、試行錯誤しながら生きていくのが、一番大事な姿勢なのかもしれない。


あと、玄順恵さんが、小田実には三つの柱があった、それは「民主主義」と「自由と平等」と「戦争と平和」だったとして、


さらに、「民主主義」を、


「小さな人びとが力を持ち得ることを信じ、そのために、自分の精神を少しずつでも高めるように努力し、お互いに高めあって力を持ちうる」


ということだと述べていて、なるほどーっと思った。
たしかに、それが、本当の「民主主義」ということなのかもしれない。


「世直しの倫理と論理」「トラブゾンの猫」「河」「HIROSHIMA」といった小田の著作も紹介されていて、いつか読んでみたいと思った。


小田実は、憲法九条の会の発起人だったようだけれど、九条の会には、自衛隊反対の人も自衛隊賛成の人も両方いて、決してどちらかを排除しなかったそうだ。


箕輪登さんという、元自民党の代議士で、「我、自衛隊を愛す 故に憲法九条を守る」という本を書いた方も、九条の会の有力メンバーだったらしい。


憲法九条というと、どうしても理想主義的・空想主義的な非武装主義の主張が思い浮かぶけれど、条文解釈の問題として自衛隊を合憲とする意見は十分に正当性があるし、自衛隊合憲の見地から九条を支持して守ろうとしている人たちもいて、小田実はそういう人たちとも積極的に連携する懐の広さと視野の広さを持っていた、ということなのだろう。


私は、正直、九条については、護憲か改憲かはっきり決めかねるところがあって、理想はわかるけれど非武装主義は現実的には現段階では無理だと思うので、武装中立が一番望ましいと思っており、その武装中立を実現するのに護憲と改憲のどちらが良いだろうかと迷っているところだが、これ以上の対米追随に歯止めをかけ武装中立を目指すという点では、案外と九条の方が良いし、そうした武装中立主義を排除しないのであれば、九条の会とかも案外いいのかもなあと思った。


うすい冊子だけれど、なかなか面白かった。


本論とは離れるけれど、鶴見俊輔が、スティーブンソン(「ジキルとハイド」や「宝島」の作者らしい)が長州からの留学生から吉田松陰の話を聞いてとても感動して、世界で最初の吉田松陰の自伝を英文で書いている、というエピソードを紹介して、とても興味深かった。


ちょっと、幾人かの識者の方が、先験的・独断的に九条を正当化し、擁護しているような気は読んでて若干したけれど、仕方ないのかもしれない。
どうも私としては、いまいちあまりにも先験的・独断的に九条・非武装主義を絶対視するのは首をかしがさせられるのだけれど、鶴見俊輔小田実はそうした絶対視はぜんぜんなく、とても柔軟で深い知性と人間愛に基づいたところから言葉をつむいでいると思うので、とても納得する気がした。


小田実は、やっぱり大阪大空襲の切実な体験から平和や非暴力の志を持つようになり、身命を賭したわけで、そういうことは、ちゃんと受けとめて聞いていかないとなあと思った。