京都旅行記 その3 六波羅蜜寺

京都旅行記 その3 六波羅蜜寺


泉涌寺東福寺を散策したあと、その日は昼から、清水寺に向かった。
一度はいつか行きたいと思いつつ、なかなか今まで行く機会がなかった。


前日の夜、友人がとてもおいしいインド料理店に車で連れて行ってくれたあと、ついでに清水寺の前までドライブで連れて行ってくれた。
その日は、夜間の特別拝観は行われていない日で、境内には入れなかったのだけれど、ライトアップされている清水寺の三重塔はとても美しく、これはなんとしても翌日来たいと強く思っていた。


というわけで、その前日と前々日、かなり用事で疲れ果てていたし、泉涌寺東福寺を歩き回ってかなりいっぱいいっぱいだったのだけれど、気力を振り絞って清水寺へ向かった。
幸い、東福寺駅から京阪線清水五条駅まではラクに移動できた。


清水五条駅から鴨川に沿って歩いていたら、何だろう、紫色の美しい百日紅(?)が咲いていた。



赤とうすいピンクの百日紅は見たことがあるものの、この色の百日紅を見たことはなかったので、とても印象的だった。
さすが京都、普通に珍しい花を地元の人がそれぞれに植えて育てて愛でているんだなぁと感心。


それから、まずは六波羅蜜寺を訪れた。
まずは、本堂にあがって観音経を読経。


ここも今熊野観音寺清水寺とともに、西国三十三観音の札所の一つ。
御簾は閉まっていて、秘仏の観音像を拝見することはできなかったが、今年の十一月から十二月頃に、秘仏の御開帳があるそうである。
あぁ、いつか見れたらいいなぁ。


それから、宝物館へ。
六波羅蜜寺の宝物館は、とてつもなくハイレベルで、とんでもない有名な御像やすごい御像があった。


http://rokuhara.or.jp/icp/


特に印象的だったのは、なんと言っても、空也上人像。
念仏を称える口から六字の名号がそのまま仏になっている姿が描かれている、たぶん誰でも写真では見たことがある有名な像である。
実物をまず見た印象は、思っていたよりも、ずっと切なそうな表情だということだった。
身を切るような、全身から振り絞るような感じで、念仏を称え、念仏を人々に広めようとしていた。
そんな、切ないまでの空也上人の願いと努力の一生が伝わってくるようで、思わず目頭が熱くなった。


また、少し角度を変えてみると、自ら称えて現れている六体の仏像を見ている空也上人の御顔が、とても安堵と救いを感じているように見えた。
念仏というのは、自ら称えながら、自らのものではない、如来からの呼び声。
きっと空也上人も、はかりしれない努力を自ら生涯つとめたのと同時に、自分よりも先手のかかった如来の御救いを常に自らこそが聞き続けた御方だったのだろう。


いろんな角度から見ると、それぞれの表情や味わいがあるというのは、やはり写真だけではわからない、実物を見ればこそ。
本当にありがたいひとときだった。


また、六波羅蜜寺の宝物館には、これまた写真でたぶん誰でも見たことがある、有名な平清盛の像があった。
実物で見る清盛の像は、なんといえばいいのだろう。
やはり、その時その時を非常に力強く決断しながら生きた、リアルな政治家だったのと同時に、とても情の深い人だったという気がした。
目がなんとなくうちの田舎の親戚筋の人たちに似ていて、きっと優しい人だったんじゃないかという気がした。
ただ、いかに情が深くても、その時その時を強く生きていても、政治の世界というのは矛盾をはらんだもので、多くの人の恨みを買ったり、結果としては多くの人から憎まれることも避けられなかったのだろう。
清盛の栄光も悲劇も内面についても思いを馳せられる、日本の彫刻史上でも最高傑作のひとつではないかと思った。


あと、湛慶や運慶の像があって、めずらしくてとても驚いた。
きっとこれだけの素晴らしい仏像を生み出した仏師は、それ自体、仏道への精進として一生仏道修行として、これだけの仏像彫刻を生み出し続けてきたのだろうと、あらためて思わされた。


本堂と宝物館の間の廊下から、遠くの方に六波羅蜜寺の建物のひとつの中にあるステンドグラスが少し見えた。
とてもきれいなステンドグラスだった。
お寺もこれからは、建築にステンドグラスを六波羅蜜寺のように取り入れるといいかもなぁ。


六波羅蜜寺から清水寺まではほんの少しの道のりのはずだが、いまいち道がわからなかったので道路工事で立っているおじいさんに尋ねると、丁寧に教えてくれた。
やっぱり、道はわからない時は人に聞くのが一番だなぁと思う。


腹が減って来たので、通り道にあったコンビニに寄ってパンを買うと、レジの女の子がやたらとかわいい子で、自分は今から清水寺に行くので釣り銭に五円玉を混ぜてくれないかと言うと、釣り銭をすべて五円玉に親切にしてくれた。
コンビニの店員もビジネスライクな人が多い昨今で、かくもかわいく目の優しい徳のある店員さんが普通に働いているとは、京都はやはりハイレベルな町だとあらためて思った(偶然かもしれないが)。


それから清水坂に歩いていくと、人、人、人…。
なんと人が多いのだろう。
前日、車で連れてきてもらった時には坂道をジョギングしている人の他は誰も人はいなかったのに、今は立錐の余地も無く観光客でいっぱい。
さすが、清水寺は観光スポットである。


見ていると面白くて、日本人だけでなく、世界中から人が集まっている。
やたらと陽気で上機嫌そうな若い中国人のカップルや、日本語がけっこう上手なアメリカ人の人たち、ムハマド・ユヌスさんによく似たとても賢そうな顔をしたおそらくインドかバングラデシュあたりの人と思われる御夫婦など、人物ウォッチングをするだけでも楽しい。


参道の左右にはいっぱい土産物屋がひしめいていて、修学旅行の高校生たちや若い女の子たちがいろんな土産やお菓子を楽しそうにショッピングしている。


清水寺の観音様の功徳なのだろうか、お寺に参る前に、すでにここが世知辛い娑婆の世界ではめったに見ることのない楽しい浄土か楽土みたいなものだなぁと思いつつ、のんびり歩いてさらに坂を登っていった。