雑感 昨今の時勢について

そういえば、この前、「ポジキャン」という言葉を聞いて、なるほどーっと感心した。
他の政党の悪いところばかりをあげつらう「ネガキャン」に対して、自分たちの実績や理念をポジティブに語ることを意味すると。
ネガキャン」が溢れる世の中より、「ポジキャン」がたくさんある世の中の方が良い。


民主党へのネガキャンが吹き荒れているけれど、たまにはポジキャンをする人がいた方がいいのではないか。
意外と達成されているマニフェストの項目も多い。
all or nothing ほど不毛な発想はない。
具体的に政策本位できちんと丁寧に見ていく方がマスコミも国民も良い。


とはいえ、なかなかそうはならず、民主党へのネガキャンは吹き荒れ、政治に閉塞感を持った人々が維新の会に飛びつく、という構図になっているようである。


政治ができることは、しょせんはたかが知れていると思う。
もちろん政治は大事なことではあるけれど、それほど一挙に世の中を良くすることなどできないものだ。
一方、世の中に大きなツケを残すことには政治は結構大きな力を持つ。
善いことはノロノロ進むが、悪いことはスピーディーということだろう。


内村鑑三が、デモクラシーは人を救わない、キリストのみが人を救う、改造ではなく再造こそが大事だ、ということを言っていた。
私はクリスチャンではないが、このことばはよくわかる気がする。
政治はしょせんは人を救うことはできない。
仏教かキリスト教か、そういったものによって、自分の心がつくりなおされなくては。


しかし、この人生を生きている間は、それなりに政治も重要な営みの一つではある。
仏教やキリスト教などを各人が安心して自由に学べる世の中であるためにも、政治が一定程度以上はきちんとしている必要がある。
政治は人を救えないが、人が救われる条件の確保の役には立つ。


がむしゃらな競争社会より、ほどほど安心できる社会の方が、各人が自分で趣味や生きがいや求道に専念できるのではなかろうか。
皆があくせくと成功に駆り立てられる世の中では、まともな精神生活も文化も信仰もあんまりありえないかもしれない。


伝統芸能を採算やコストの面から切り捨てていくような発想や価値観が社会のすべてを覆ったら、どうなることやら。
文化や教育や伝統というものは、基本的に金銭だけには換算できないものだ。
不思議なことに、ネオリベは皇室には難癖をつけないが、市場や金銭が市場の価値ならば、皇室も無用だろう。


社会保障にしろ、文化にしろ、生活や教育といったものにしろ、市場や金銭の価値に還元できない価値がこの社会には確かに存在し、それをいかに大事にするか。
という発想と、金や市場や競争が至上の価値観と。
究極的には、日本の対立軸や分岐点は、そういったところじゃなかろうか。


橋下さんの維新の会が掲げる「自立する個人、自立する地域、自立する国家」という言葉。これは、まるっきり小沢一郎さんがその昔、『日本改造計画』で掲げていたことと同じ言葉である。
今もって小沢さんを支持する人も、これから橋下さんを支持する人も、その具体的な中身を見た方がいいのではないか。


政治において大事なことは、単語やスローガンではなく、具体的な政策や、税の使い道についての詳細な数字やデータだろう。
具体的にどう予算が変わり、どう使われるかが大事だ。
歴史やデータを無視して、スローガンやイメージばかり先行しても、基本的にろくなことにならないのではないか。


橋下さんの「維新八策」が先日発表されていたが、
http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC3103B_R30C12A8000000/
良し悪しをひとまず置くとして、あまりにもデジャヴで、既視感があって驚く。
ほとんど、二十年前の小沢一郎日本改造計画』と同じだ。
この二十年、日本は政治もマスコミも国民も、何をしてきたのだろう…。


今さら『日本改造計画』のリプリントみたいなのを熱狂的に支持する人々もどうかと思うが、小沢派が橋下さんや維新の会を批判するのもどうにも首をかしげる
狂信的な小沢派のほとんどは、『日本改造計画』を読んだこともないし、そもそも小沢さんのHPすらまともに読んだことがないのだろう。


おそらく次の選挙では民主党は逆風に苦しむだろうけれど、ある程度は生き残ってもらって、しっかりと理念や哲学を立て直してもらって、堅実なリベラル(西欧型社民主義)政党になってもらえたら、長い目で見れば少しは日本の政治もどうにかなるだろうか。
ネオリベVSリベラルの軸にまとまるだろうか。
自民・維新の会・みんなの党などのネオリベ路線政党と、安心できる社会の実現を目指して社会保障に関しては大きな政府を目指す民主党との対立軸が明確になることがこれからの日本にとって重要だと思う。
生活党は、それを攪乱し、実質的に前者に漁夫の利を与えるだけの存在となるだろう。


日本人にとって、平安時代や幕末の歴史も大事だろうけれど、ここ二十年ぐらいの歴史をきちんと勉強することが一番大事ではないか。
ここ最近の歴史のことを、あまりにも多くの日本人は忘れ過ぎだろう。
いかにこの二十年、日本が停滞してきたか。
それはなぜだったのか。
少しは学習した方がいい。


野田さんは、代表選に向けて、「日本に生まれて良かったと思える国を造るために」がんばると言ったそうだ。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00231225.html
本当、そのためにはどうすればいいのか。
このことこそ大切なかもしれない。
党派心を超えて、このことのために日本は本当は知恵を結集すべきだったろう。
この二十年、そう思える国になってきたのか否か。


菅さんが、この前、「政治を「面白いかどうか」ではなく「国民にとって必要な政策かどうか」を伝えるべき」ということを言っていた。
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11349951393.html
全く同感。
政治は娯楽ではないし、遊びではない。
政局本位ではなく、政策本位の関心や議論が、マスコミも国民も重要と思う。


菅さんも野田さんも、ネガキャンの集中砲火の中で、ほとんどポジティブには語られることはなかったが、時が経てば、税と社会保障の一体改革がいかに今の日本に必要であったか、それが何を目指していたのか、少しは多くの人もわかる時が来るだろうか。