ふと昔韓国を旅行した時のことを思い出した

そういえば、もう十数年以上前になるが、韓国を一週間ほど旅行したことがある。


友人と二人で、全くの個人旅行で、博多港から釜山まで船で行き、そのあとバスや電車で移動して、宿は行き当たりばったりでその場でとっていった。
一泊千円ぐらいのボロ宿に泊まったこともあった。
若ければこそできたなぁと思う。
釜山→慶州→扶余・公州→ソウル→再び釜山→博多港というルートだった。


当時は韓流ブームの前で、まだなんとなく「近くて遠い国」という雰囲気が残っていたと思う。
反日感情が強いんじゃないかと若干懸念があったが、私自身は一度も旅先で反日感情のようなものは向けられたことはなかったし、不快な思いをしたことはなかった。
日本人の旅行者とわかっても、だいたいみんな親切で、いろんな人に道を教えてもらったし、食堂では安い料金でずいぶんたらふく御馳走になったことが何度かあった。
旅先でたまたま出会う人は、どの人も皆親切だった。


ふと今日はそのことを思い出した。


どこでも、人間というのはだいたい基本的に似たようものだし、親切でいい人が多いと思う。
これは韓国だけではなくて、他の国でも思ったことだけれど、韓国でもそう感じた。
どこの国でも人は一生懸命生きていて、そして同じ人間であり、基本的には普通に親切な人が多いと思う。


特に韓国は、微妙に日本と似ていて、微妙に違うところが面白かった。


いろんな歴史的なスポットや遺跡や博物館も回ったけれど、それで当時思ったのは、「日本人は清潔な民族で、韓国人は高潔な民族だなぁ」という印象だった。
もちろん、これは漠然とした私の印象に過ぎず、日本人にも高潔な人はいっぱいいるし、韓国人にも清潔な人はいっぱいいるだろうから、どっちがどっちというわけではないのだけれど、なぜ当時そんな印象を私が持ったかというと、今思えば、要はこういうことだったのだと思う。
日本人は非常に清らかでさっぱりしたものを好む傾向があり、実際の歴史や文化にもそれが刻印されている。
それに対し、韓国は、いろんな苦難や困難を苦しみながら乗り越えてきた歴史を持っており、あらゆる苦難にも耐えていくという点で、芯の強い高潔なところが、いろんな歴史や文化に刻印されているなぁという風に、あちこち回って印象を受けたからだった。


昨今、竹島の領土問題で両国間の感情はずいぶん加熱しているようではある。
私は政治的な問題としては若干心配しているけれど、基本的にはそれほど深くは心配していない。
どの国も、隣国との関係というのはだいたいしばしば摩擦が生じるものだし、日本の中高年の女性の韓流ドラマ好きや若い女の子のK-POP好きは、どれだけ国士さんたちが憤慨しても今後もあまり変わらないだろう。


政治というのは国と国の関係のごく一部だと思う。
政治は政治で大切で、私は野田さんの対処は適切と思うし、単独で国際司法裁判所に提訴することは適切だと思うが、それはあくまで政治の話。
冷静に適切に行えば良いことで、庶民までが庶民同士で嫌いあう必要はないことだろう。
国と国との関係というのは、政治というごく一面だけでなく、経済や文化や個々人同士の関係など、さまざまなチャンネルやルートがあるし、またあってしかるべきと思う。


べつに過度に韓国に思い入れを持つ必要もないが、過度に嫌う必要もないだろう。
同じ人間が玄界灘を隔ててすぐ近くに暮らしているわけで、よく見てみれば面白い歴史や文化がいっぱいその半島にはつまっているわけで、政治は政治、文化は文化として、我々庶民は今までどおり普通に付き合っていけばいいのではなかろうか。