韓国時代劇『王女の男』について若干

韓国時代劇『王女の男』は本当よくできてる。


韓国版ロミオとジュリエットという感じのストーリーなのだけれど、癸酉靖難などの歴史的事件をうまく生かしていて、とても面白い。


史実とは思っていなかったのだけれど、何か元ネタがあるのかとネットで調べてみたら、


なんと『錦渓筆談』という民間伝承を集めた本が元になっているそうだ。


民間伝承ならば、何かしら元になるような話がひょっとしたらあったのかもしれない。


なお、主人公の金承琉は、朝鮮実録などの歴史書には記載がないが、金宗瑞の三男として金氏の家系図には記載されているとのこと。
他の息子たちが歴史書には暗殺や死刑になったことが記されているのに対し、家系図には載っているのに歴史書にそうした記述がないことから、普通に考えればもっと前に病死していたと考えられるが、あるいは何か『王女の男』のような物語があったのではないかと想像力をかきたてられる気はする。


ヒロインの首陽大君の娘も、歴史書の不可解な記述から着想を得て書かれているらしい。
つまり、世宗の碑文には世祖(首陽大君)の娘は二人と記されているのに、世祖の碑文や歴史書には娘が一人しか記されていないことによると。
普通に考えれば病死したか、記述の誤りだろうけれど、何かこんな物語があったために歴史から抹消された、とか思うとロマンをそそるものである。


にしても、同じ時代を扱った『王と妃』と比べて、『王女の男』では徹頭徹尾首陽大君が悪玉であり、金宗瑞は非常にかわいそうである。
どちらの描き方が妥当かは見る人によって違うだろうし、私は『王と妃』の方が納得がいくけれど、金宗瑞サイドから見れば、癸酉靖難は本当にひどい出来事だし、あまりにも哀れと思う。


錦渓筆談に描かれた民間伝承も、あまりにも哀れな金宗瑞とその一族への庶民の深い同情と哀惜が生み出したものだったのかもしれない。


残酷な政治的テロよりも、男女の愛情の方がはるかに良いもののはずなのに、実際の世の中というのは難しいものである。