メモ

「我々の今日があるのは“世界は変わるはずがない”という声に耳を傾けない人がそれだけ大勢いたからです。」(オバマさん)

“We are here today because enough people ignored the voices who told them that the world could not change.” (Obama)


「人類の運命は、私たちが形作るものです。」(オバマさん)

“Human destiny will be what we make of it.”





菅さん「消費税はYES, 原発はNO!」
http://amba.to/SFR1zk 
賛成!なぜか日本では脱原発と反消費税が感情的に結び付けられて語られる傾向がある。本来は全く別個の問題。脱原発は菅さんの志を継ぐべきだし、消費税は社会保障維持のため必要だ。
消費税反対という人々は、税金は「年貢」と思っているのではないかと思う。
そうではなく、「社会の会費」と考えてみることも大事ではないか。
江戸時代の日本であれば、税金はおさめても納税者にあまり還元されない、単なる年貢だった。
しかし、民主主義国家である日本においては、税というのは基本的に特権階層を養うための年貢ではなく、公共サービスを成り立たせるための「社会の会費」であり、またそうあるべきことである。
税を単なる年貢や負担として考えるのではなく、社会の会費・分担として考えることが、社会保障を安定構築するために必要な構えではなかろうか。




「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」(内村鑑三「後世への最大遺物」)



時折、仏教徒で、一知半解でキリスト教をけなす人がいるが、正直なところ、内村鑑三新渡戸稲造を超えるほどの仏教徒は、近現代の日本にはあまり多くはないと思う。私自身は仏教徒だけれど、キリスト教の中には、たいていの仏教徒が容易に太刀打ちできないほど深くすごいものがあるのは事実とは思う。
ついでにいうと、時折上座仏教の人で一知半解で浄土真宗等をけなす人がいるが、浄土真宗の中の優れた人が持つ人格や学識に、それらの人は遠く及ばないことが多い。そもそも、増支部経典にはきちんと善を実践している他宗教をけなすと、地獄に落ちると明記されている。なので、彼らは上座としても失格。


「それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば”勇ましい高尚なる生涯”であると思います。」(内村鑑三



日本の原子力行政は1955年頃始まっている。さまざまな不作為や「想定外」についての責任について、311までの五十六年間のうち、たしかに二年間は民主党にも言える。しかし、残りの自民党の五十四年間を不問に付しながら、ただ民主党の責任だけ言うとすれば、随分片手落ちなものだろう。




今日、内村鑑三の「日本国の大困難」を読んだ。私は原文で読んだけど、検索したらネット上に現代語訳もあった。
http://green.ap.teacup.com/lifework/504.html 
すごい内容だと思う。
内村が言うには、日本の根本的な問題は、「日本人がキリスト教を採用せずしてキリスト教的文明を採用したこと」だという。
私はクリスチャンではないし、内村が言うように、キリスト教を日本が採用すべきだとは必ずしも思わない。
しかし、日本が外形だけの文明をとりいれて、魂のない人造人間、魂のない外形だけの文明になった、という指摘は、鋭いし、痛烈なものだと思う。
仮にキリスト教を採用しないならば、今からでも遅くないので、内村鑑三ぐらいの鋭い問題意識を持って、仏教あるいはキリスト教を己の魂として重視せんことには、日本の魂なき文明という問題は二十一世紀の今日も解決されないのかもしれない。
いや、おそらくそうだろう。
内村が言うように、本当は「宗教は生活の基礎」である。






BBCがつくった番組らしいけれど、衛星で「イギリス・華麗なる芸術の旅」の一回目がさっきあったので見てみたら、とても面白かった。
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_23_01.html 
ノルマンコンクエストの前のイギリスの珍しいいろんな文物が映って、とても興味深かった。けっこう文化高かったんだなぁ。



Nスペ「原発事故調 最終報告〜解明された謎 残された課題」 を見た。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0724/index.html 
この数十年、規制官庁と東電が馴れ合い、安全対策を見直す機会があったのに、少なくとも二十三回も何もせず先送りしてきたという指摘に、あらためて絶句。
柳田邦男さんが、数字で被害を見るのではなく、ひとつひとつの悲劇が同時に起きたという視点を持つことと、安全対策において、省庁や企業の目線だけでなく、住民の目線を持つことの大事さを主張されていて、本当にそのとおりと思った。本当、柳田さんは日本の良心だと思う。
311を、私たちの社会や政治のありかたの転換点にできるかどうか。それを、今日の事故調報告書に関するNスペを見ながらあらためて思った。規制官庁と東電の馴れ合いによる安全対策の放棄。長年の間の改善策の先送りと怠慢。住民の目線の不在。いったい、どこに国民主権があるのだろう。変えねば。


「菅前首相は日本を救った」と細野環境相
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120724/dst12072423480020-n1.htm
私もそう思う。
実際、あの時が菅さんでなくて東電の撤退を認めていたら、首都圏三千万人移住という最悪事態もありえた。
感謝するどころか悪口雑言や誹謗中傷ばかりのこの国はどうなってるのやら。