今日は、久しぶりに仏教教育宝典の一巻に収録されているアショーカ王の詔勅碑文の翻訳を読んだ。
本当素晴しい。
一切の人々を自分の子どものように思い、武力によってではなく、法によって勝利することをめざし、不殺生と法による統治を目指したアショーカ王の精神は、時空を超えて胸を打つものがある。
アショーカ王は、本当、転輪聖王のような王だったと思う。
アショーカ王やマルクス・アウレリウスなどは、本当転輪聖王の名に値する人物だったのだろう。
日本だったら、北条泰時や徳川家康が名君だったろうか。
ちなみに、アショカ王の祖父のチャンドラグプタ王に、セレウコス朝の王の娘が政略結婚したそうなので、ひょっとしたらアショカ王にはギリシャ人の血が八分の一入っていたかもしれないそうだ。
案外、ギリシャ人っぽい風貌だったのかもしれない。
詔勅碑文にもギリシャ人について言及した箇所があった。
「善は為し難い。何人でも善を為し始める者は為し難いことを為すのである。…実に悪は為し易い。」(アショーカ王詔勅碑文)
「われは全世界の利益を増進することを、わが義務であること考える。」(アショーカ王詔勅碑文)
「ひとの愛し楽しむことは、法に対する愛楽であれかし。」 (アショーカ王詔勅碑文)
他にも、いろいろ胸を打つ言葉があった。
それにしても、古代の転輪聖王の時代と比べて、なんと今の日本の政治は混迷していることだろう。
今日は消費税法案が通ったけれど、小沢派の造反で、民主党は分裂に突き進むようである。
これは私の勝手な印象論だけれど、菅さんには松平容保的な気の毒さが、野田さんには井伊直弼的な気の毒さがあるような気がする。
誤解がないように言っておくと私はけっこう幕府贔屓なので、この二人は立派な人物だったと思っている。
ただ、歴史の無情な流れで、「悪者」にならざるを得なかったと思う。
本当に悪いのは、後先のことを考えない無責任な破壊主義をまき散らしたり、根拠のない悪口雑言や誹謗中傷をまき散らす人々だと思うが、歴史はえてして、非情なものなのだろう。
千年河清。
時が経てば、菅さんも野田さんもそれなりに評価されるだろうけれど、次の選挙では民主は惨敗なのだろう。
日本の政治が安定したものになるのは、まだまだ当分先のようである。
今日は、あと、ハッタカ経を読んでて、気になったので、四摂事の意味をあらためて事典で調べ直してみた。
「同事」は苦楽を共にすること。
「利行」は利他行。
「愛語」は心のこもった優しいことば。
「布施」は法施と財施。
この四つで、人々を正しい生き方や認識に引き入れるのが、仏教における四摂事ということ。
私も日々心がけようと思った。
転輪聖王が現れることは当分はなさそうだし、むしろそれから程遠い混迷がしばらくは続くのだろうけれど、だからこそ、各自が自分でしっかり善く生きるしかないのだろう。