増支部経典 第三 無堪忍品
一、 比丘衆よ、我は、かほどにも無修無堪忍の法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、心は無修無堪忍なり。
二、 比丘衆よ、我は、かほどにも修せられ堪忍なる法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、心は修せられ堪忍なり。
三、 比丘衆よ、我は、かほどにも修せられざる時は大無利を成す法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、修せられざる心は大無利を成す。
四、 比丘衆よ、我は、かほどにも修せられたる時は大利を成す法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、修せられたる心は大利を成す。
五、 比丘衆よ、我は、かほどにも無修無顕ならば大無利を成す法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、無修無顕の心は大無利を成す。
六、 比丘衆よ、我は、かほどにも已修已顕の時は大利を成す法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、已修已顕の心は大利を成す。
七、 比丘衆よ、我は、かほどにも無修無多所作なる時は大無利を成す法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、無修無多所作の心は大無利を成す。
八、 比丘衆よ、我は、かほどにも已修已多所作なる時は大利を成す法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、已修已多所作の心は大利を成す。
九、 比丘衆よ、我は、かほどにも無修無多所作なる時は苦を引く法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、無修無多所作の心は苦を引くものなり。
十、 比丘衆よ、我は、かほどにも已修已多所作なる時は楽を引く法を、他に一も見ず、比丘衆よ、それはすなわち心なり。
比丘衆よ、已修已多所作の心は楽を引くものなり。