ペトラルカ風に ペトラルカへの手紙

ペトラルカ風に ペトラルカへの手紙


はじめまして。
先日、貴殿の『わが秘密』と『書簡集』を読みました。
それで、唐突ですが、手紙を書かせていただきました。


私が身の程知らずにも貴殿に手紙を書こうと思い立ったのは、貴殿の『書簡集』に触発されたからです。
同時代の人に対してのみでなく、キケロに手紙を書くという貴殿の想像を絶したスケールの大きさ、ぶっ飛び方に、大きく触発されたからです。


さて、私が貴殿にかくも心惹かれるわけを、いささか話させてください。
といっても、私は自分でもその理由がよくわからないのです。
唐突に、突然、あたかも流行り病にかかったかのように、貴殿の本が読みたくて仕方がなくなりました。


といいましても、私は貴殿の言葉は解さないので、もっぱら日本語の訳に依っています。
貴殿は当時、日本については少しは御存じだったでしょうか。
マルコ・ポーロと同時代の貴殿は、ひょっとしたら伝説に彩られた形で若干お聞き及びだったでしょうか。


貴殿は同時代のイタリアの腐敗と堕落を歎き、古代ローマへの憧れを書簡の中で縷々綴っておられます。
しかしながら、二十一世紀の日本から見る時、なんとルネサンスのイタリアは輝いて見えることか。
貴殿の時代であってそれほど歎かなければならないとしたら、いったい今の日本は何であろうかと思わざるを得ません。
徳が軽んじられ、金銭ばかりが求められ、魂のことが捨てて顧みられないこの日本の現状は、おそらくは貴殿の時代のイタリアと比べた時に、貴殿の時代の人々の想像を絶することでしょう。
貴殿には古代ローマという還るべき模範、心のよりどころがありました。
しかるに、私たち今の時代の日本には、それすらも見つからないのです。


いえ、私たちのことを、宗教や道徳がもともとない民族だともし誤解されるのであれば、それは大変残念なことです。
なるほど、日本には、貴殿が大きな影響を受けたキリスト教古代ローマの文学や思想も、かなり遅れて伝わりました。
最初に伝わったのは十六世紀頃、貴殿の死後二、三百年の後です。
そのうえ、いったん鎖国で断絶して、本格的に流入されたのは十九世紀半ば以降、「開国」ののちでした。


しかしながら、私たちの国には、仏教という、決してキリスト教には優るとも劣らない、死や無常を見つめ、人間の魂の救済について深い思索と実践を行う宗教がありましたし、儒教や武士道のもと、気高い勇気と剛毅を育んできたわけです。


ですが、仏教も武士道も今や世の人々から忘れられ、そのうえキリスト教古代ギリシャ・ローマの哲学や文学が根を下ろしたわけでもありません。
結局、今の日本は、魂のことも、生き方も、すべては金銭的な興味や欲望に還元されがちなのです。
古来からあったものも、新しく来たものも、どちらもしっかりと学ばれることがなく、あくせくと金儲けだけに血道をあげてきたのが、残念ながら日本のこの六十年ほどのありようであり、今もってますますひどくなっている状況なのです。


その事に対して、違和感や失望を表現することすら、もはや私たちはほとんどできないほど、うちひしがれ、飼いならされてしまいました。
私が貴殿の書簡や著作から学んだことは、率直に思っていることを表現すること、時代や社会への異議申し立てを行う勇気や感受性でした。


いささか長くなってしまいましたが、私が貴殿にかくも心惹かれる理由のひとつが、手紙を書いているうちに一つ明らかになりました。
つまり、今申し上げたことです。


今回はこれぐらいにさせていただきます。


Vale.