プーシキン 『オネーギン』を読んで

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)



プーシキンの『オネーギン』を読んだ。
とても面白かった。


たぶん、この作品は、話の筋だけを書いても、ちっとも面白くない。


この作品の混沌とした豊饒な文章の魅力は、実際にこの文章を読んでみないと、決してわからないのかもしれない。


何年か前に、映画化されたものを見たのだけれど、どうもほとんど思い出せないことを考えると、あんまり印象に残らない映画だったのだと思う。
この作品は、断然映画や映像より、文章で、本として読んだ方が良いような気がする。


とても美しい自然の描写、不思議な、独白なのかなんなのかよくわからない心理描写の盛り上がり、詩なのか小説なのか戯曲なのか判然としない不思議な文体は、ちょっともはや真似のできない、不思議な魅力を醸し出している。


そして、話の筋としては至極単純なはずなのに、心が掻き回され、掻き立てられる、不思議な作品である。


この作品の主要登場人物の男性二人は、両方ともなんだか読んでて自分に似ているような、そんな気がした。


そして、この作品の主要人物の女性二人の姉妹は、妹の方が、昔私が好きだった人に若干に似ている気がした。
姉のヒロインの方に似た人を今度は探したいと思った。
そして、もし見つけることができたら、オネーギンのような馬鹿なことはすまい、と思った。


それにしても、このオネーギンの、すでに青春が過ぎ去ったということへの落胆や焦り、
李賀の言葉を借りるならば、「二十歳にして心すでに朽つ」というデカダンな心情は、私も若干はよくわかる。
馬鹿げた世間への侮蔑や退屈、若き日の遊蕩への悔いと飽きと倦怠。
そうであればこそ、タチヤーナをきちんと愛していれば、オネーギンの魂も救われたかもしれないものを、なんとも人生というのは、厄介なもので、すれ違いがちなものだ。


久し振りに良い文学作品を読んだ。


それにしても、プーシキンはこの作品を七年かけて書いたという。
俺も七年ぐらいかけて、何か書き上げてみようかなぁ。