小林よしのり 靖国論

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論


扇情的な表現はちょっと閉口するところもあるけれど、けっこう面白かった。


小林よしのりは、ちょっと扇情的に過ぎるところや、過度に攻撃的な表現が目立つために、多くの人の嫌悪も受けているようだけれど、おそらくは根はそんなに悪い人ではなくて、きわめて純情な人であるように、この本など読んでいると思われた。
真摯に、BC級戦犯として処刑された人々の遺書を丹念に読んで引用しているところなどは、大事なことだと思うし、共感できた。


ただ、読んでいて、いくつかの点は疑問。


まず、政教分離について、小林よしのりは、アメリカ型の政教分離を挙げて、アメリカでも完全なる政教分離などしていないのに、日本のみ厳格な政教分離を主張するのはおかしい、ということを述べているけれど、一切フランス型の政教分離については沈黙している。
単に知らないだけなのか、故意に黙っているのかはわからないけれど、本来ならばアメリカ型政教分離とフランス型政教分離と、両方について考察し、そのメリットデメリットを考察して、日本との兼ね合いを考えるべきだろう。

次に、小林よしのりが、死者の視線を大事にし、ABC級戦犯として処刑された千六十八名の人々に思いを寄せ、戦没者の遺書などを引用し、そうした人々の崇高な思いや志や後世の人々への大きな愛と期待を、ないがしろにしないようにと主張していることは、基本的には私は共感するし、賛成である。


ただし、それが、靖国神社公式参拝の主張に、ダイレクトに結びついているところに、若干の疑問がある。


小林よしのりは、靖国神社が日本の伝統であり、神道の精神に基づいていると主張していて、それはそうかもしれないが、一向専念無量寿仏を掲げる浄土真宗や、あるいはキリスト教などへの顧慮がまったく存在しない。


多数者の信仰や価値観としては、小林が言うとおりかもしれないが、日本は神道の信者だけのものではない。


少数者(といっても浄土真宗門徒は一千万以上だが)への配慮が欠如しているところに、多数者の主張のみダイレクトに振り回しているところに、疑問がのこる。


また、そこから派生することだが、小林よしのり無宗教の国立追悼施設を猛烈に批判して、無宗教での追悼はありえないと言っているけれど、かなりの誤解があるのではなかろうか。
無宗教の追悼施設というのは、要するに、個々人まで無宗教で追悼することを強制する施設ではない。
その逆で、その施設の前で、個々人が自分の信条や宗教にもとづいて、念仏でも題目でもキリスト教式でも神道式でも、いかなる参拝でもできるという、そういう意味での無宗教の追悼施設であって、いわば多宗教の施設のはずだ。
ただ、国家としては、特定宗教に加担するわけにはいかないので、ニュートラルな形での追悼をするというだけのことである。
実際、フランスのパンテオンなどはそうである。


どうも、誤解というか、認識の違いというか、そういう問題が国立追悼施設に対して小林よしのりにはあるのではないかと思う。
(あるいは、ひょっとしたら、それらは十分に知った上で、わざと無視して、扇情的に世論を一定の方向に誘導しようとしているのだろうか。どうもそうではないようだけれど。)


また、天皇靖国参拝を控えるようになった理由を、三木武夫が私的参拝ということを言い出したからであると主張しているけれど、富田メモが公表された今となっては、その意見はまったく成り立たないだろう。


でも、以上のことは相当な留保や批判的な検討が必要と思うが、そうしたことは割引くとして、


その他の部分の、BC級戦犯の遺書のいくつかの引用は、読んでいて私も胸が熱くなった。


もろもろの誤解や、認識の誤りを解きほぐして、戦没者の思いを本当に大事にし、多数者も少数者もともに戦没者を追悼し、日本の歴史や精神や先人の経験を大事に継承していくような、そういう場を考えていくことができたらなぁと改めて思った。