今年の八月十五日に思ったこと

今日は「終戦」の日。


日本は「終戦」というけれど、戦争があの時に終ったのは日本ぐらいのものかもしれない。
世界中では「戦後」も戦争は頻発してきた。
特にイスラエルなどは、何回戦争を繰り返してきたかわからない。
正しくは日本にとっての「敗戦」と言うべきなのだろう。


うちの祖母が生前に話してくれたけれど、敗戦の日、近所に夫婦で自殺した人がいたそうだ。
前途を絶望してのことだったのだろう。
そういう人も当時は結構多かったのかもしれない。
祖父母はよくぞあの大変な時代を乗り越えて生きてくれたと思う。
多くの人々が、苦難を乗り越えて生き抜いてきたおかげで、今の日本がある。


考えてみると、その時の祖父母は今の私の年齢よりも若かった。
昔の人はしっかりしたものだと思う。
母方の祖父は私が生れる前に亡くなっていたので会ったことはないのだけれど、大正三年の八月十五日生れなので、今からちょうど百年前に生まれたことになる。
百年経つと、世界はかなり変わるのだと思う。


一方で、あまり変わってないところもあるのかもしれない。
今日、安倍首相が戦没者追悼式で「歳月がいかに流れても、私たちには、変えてはならない道があります。」と言っていた。
安倍さんにとっては戦後レジームとは変えるべきもののようなので、変えてはならないものとは、たぶん取り戻したい戦前の何かなのだろう。


東条内閣の頃の閣僚の孫が今の日本の首相ということを考えると、いろいろ変わったようで、この国はあんまり変わってないし、変わった部分がまた元に戻ろうとしているのかもしれない。
何を変え、何を変えないように守るべきか。
結局、その選択が大切なのだと思う。


ワルキューレ作戦が成功して1944年頃にドイツが降伏していたら、日本ももっと早く降伏していたのかもしれない。
もっと早く抵抗や別の選択ができていたら、ドイツや日本の歴史も全然違ったかもしれない。
レイテ島の戦いは1944年の10月からなので、一年早く日本が降伏してれば、うちの大叔父は戦死しなくて済んだのだろうということをこの日にはあらためて思う。


昭和天皇は敗戦の原因を分析して四つのことを独白録の中で挙げていた。
その一つに「常識ある首脳の不在」ということを挙げていた。
考えさせられる言葉である。
指導者が、何を守り、何を変えるべきかの判断を誤ると、時にとんでもないことになる。
今の日本の首脳は本当に常識がある人なのか。


福田さんが首相の時に、


「今日、一部国際社会の情勢が不安定さをみせる中、一国だけの利益を追求しようとする風潮がないとは言えません。その中にあって、私たちは、内向きな志向の虜(とりこ)になることなく、心を開き、そのまなざしをしっかりと世界に向けながら、歩んでいきたいと思います。 」


戦没者追悼式典で述べていた。


菅さんは、首相の時に、


「本日、ここに、我が国は不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継ぎ、平和国家として世界の人々との「絆」を深めてまいります。」


と言っていた。


しかし、日本は近年、全然違う方向に、真逆の方向に流れている。
今の日本は、「内向きな志向のとりこ」になり、絆をおろそかにしている。
「常識」の逆方向に。


戦後の日本の平和主義や民主主義とは何かということを、わかりやすく言えば、人に対して「死んでしまえばいいのに」と思うのではなく、お互いに「生きてくれていてありがとう」「生きていてよかった」と思える世の中や人生にしよう、ということだろう。
その思いや努力の積み重ねが、平和な豊かな日本をつくってきた。
しかし、この思いは急速にいま捨てて顧みられなくなりつつある。


敗戦のあと、丸山真男大西巨人矢内原忠雄らの多くの人が、どうして日本はこのような破局にいたったか真剣に考えた。
そうした営みがつくりあげてきた戦後の日本の平和や思いは、「戦後レジーム」と一括りにされて、次々に変えられ、捨てて顧みられなくなりつつある。


安倍首相は去年のこの日の式典では、「言葉は無力なれば」としたり顔で言っていた。
その後の安倍さんの営みを見ていると、要するに言葉の力を無力化したいのだろうと思える。
言葉とは記憶であり、記憶があってこその言葉なのだろう。
言葉が無力にさせられるということは、記憶が風化していくことなのだと思う。


丸山真男は、ニーメラーの言葉の言葉を引用して、こう述べた。
「端緒に抵抗せよ」(Principiis obsta)、「結末を考えよ」(Finem respice) 。
要するに、ヤバイと思ったら最初から抵抗しろ、こんなことやってたらどうなるか先を考えろ、ということだろう。


敗戦の原因が「無責任の体系」や「責任阻却」や「思考停止」だったとすれば、たとえしんどくとも、考える牙を磨ぎ続け、自分の時代と社会に責任感を持って生きることが大切なのだと思う。
言葉を無力化する試みに抵抗して、言葉の力を今こそ再び取戻していくことができるかどうか。
それが結局、いま一番大切なことではないか。


この「終戦」の日が、日本の戦争の最後の日ではなかった、などということにならないように、第二次大戦の終わった日が日本にとっての戦争の最後の日になるように、できうる限り努力していかないといけない。
この当たり前のことが、戦後七十年を来年に控えた今、そして第一次大戦から百年が経った今、多くの実際に戦争を体験した人がほとんど亡くなりつつある今、問われているのだと思う。


おそらく、戦前の日本も、治安維持法等々の法律ができる時は、そんなにひどいことにはならないと多くの人は思っていたのだろう。
戦時国債の大量発行の時も、どうにかなると思っていたのだろう。
我々は一つ一つの法律について、そして国家財政について、外交や歴史認識について、「言葉は無力なれば」と思うのか、それとも言葉を用い記憶を大切にして抵抗を紡いでいくのか。
そのことが今問われているのだと思う。