雑感 BC級戦犯の人々の遺書をいくばくか読んで

先日、東京に行ったついでに、サンシャインシティ横の巣鴨プリズン跡の慰霊碑にお参りしてきた。


それがきっかけで、BC級戦犯の人々の遺書を集めた『世紀の遺書』や、上坂冬子さんのBC級戦犯についてのノンフィクションドキュメントを最近読んでいた。


まだうまく自分の中で整理がつかないのだけれど、一言で言えば、疲れた。
身体も疲れたし、ストレスのせいか、舌に口内炎までできた。


あまりな理不尽や不運に遭遇した悲劇の人々の、悲痛な言葉や人生の前に、なんといったらいいのか、どうにも言葉が見つからない。
神はどこにいるのか?と問いたくもなる。


その一方で、巣鴨のBC級戦犯の人々の遺書には、浄土真宗キリスト教かいずれかの、非常に深い宗教性が満ちているのに、驚きと共に、胸打たれる。
人は死を凝視直視すると、おのずと宗教的救済を欣求するようになるのだろうか。
それらの人々の、最後の言葉の格調の高さと内容の貴重さは、後世の者は襟を正して受けとめるべきものも多いと思う。


ただ、どうして彼らが、このような目に遭わなければならなかったのか、やっぱりよくわからない場合が多い。


もっとも、いわゆるBC級戦犯の場合もそうだけれど、理不尽な死が強いられたということであれば、戦争で死んだ非戦闘員や徴兵された人はみんなそうなのかもしれない。
小田実さんが「難死」という言葉で言っていたのは、おそらく、理不尽な死を強いられる、ということすべてであったのだろう。
その意味で言えば、空襲で死んだ人々も、BC級戦犯裁判で死んだ人々も、「難死」だったと思う。


戦後の日本は、この「難死」を、言葉としてはっきり把握するかどうかはともかく、なんとか乗り越えようとすることから始まったように思う。
理不尽な死を強いられないように権力の暴力発動に縛りをかける、ってのが、戦後日本のコンセンサスや悲願だったのではないかと思う。
そのために、九条や文民統制やいろいろ工夫してきたわけだけれど、理不尽な死が強いられること・「難死」への想像力の衰退とともに、それらの工夫や努力も衰退してきたのだろうと思う。


とすれば、それらの工夫や努力をなくさないためには、たとえつらくとも、もろもろの難死の歴史を直視するしかないんだろうなぁ。

あと、もう一つ不思議なのは、どういうわけか、日本では、右派の人々がわりとBC級戦犯の名誉回復や慰霊ということを言い、左派はわりと冷淡だったような気もする。
もっとも、『世紀の遺書』の推薦人には、社会党の多くの政治家が名を連ねているので、一概にはそう言えないとも思うが、どうもそうした印象がある。
それはなぜなのだろう。
虚心坦懐に『世紀の遺書』を読めば、人類愛や戦争反対や永遠平和など、むしろ左派と共鳴する言葉や願いをかいている人が多い気がする。
「戦犯」という言葉が、左派の忌避を招き、右派には親近感をもたらしたため、なのだろうか。
また、A級戦犯とBC級戦犯がごっちゃに語られてきたせいなのかもしれない。


ちょっと受けとめるには重すぎる歴史だけれど、いわば、BC級戦犯の人々は、戦後の日本にとって、贖いの死や償いの死を背負った人々だったのだと思う。
その意味では、戦後日本におけるアザゼルの羊だったのだろう。
そのことだけは忘れてはならないと思う。