- 作者: 福田和也
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山下奉文は、以前から気になっていた人物だけれど、きちんと評伝などをまだ読んだことがなくて、とおりいっぺんの、断片的な知識だけしか知らなかった。
この本は、昭和の悲劇として、組織人として、そして「英雄」として、山下奉文を描いていて、読みやすくて面白かった。
やっぱり、とても心ひかれる、気になる人物だと思う。
この本には言及されていないけれど、山下奉文は、水野晴郎の映画「シベリア超特急」シリーズの主人公でもある。
B級映画とも言われるが、そこそこ面白い映画だったと思う。
おそらく、戦後の日本で、戦争映画ではなくて、昭和の陸軍軍人が何らかの映画の主人公として描かれるなどということは、山下奉文ぐらいしかないかもしれない。
それぐらい、山下奉文という人物は、なんというか、陸軍軍人にしては珍しく、戦後の日本人の心もなにがしかとらえてやまない、愛されるべき要素があるのかもしれない。
二二六事件の青年将校たちと密接な関わりがあり、事件後左遷され、
対米英戦争には反対していたが、いったん大戦が始まるとシンガポール攻略の大任を受け、見事に電撃戦でシンガポールを陥落させる。
しかし再び不遇のまま満州に左遷され、大戦末期のどうしようもない状況になって急遽また呼び出されてフィリピンでの不利な戦争を指揮することになる。
敗戦の時、部下の将兵の降伏を見届けるために自決をあえてせず、戦犯裁判にかけられて絞首刑となった。
こうした山下の生涯を見ていると、不如意なことも多かったろうなあと思う。
福田和也は、本の最後の方で、山下奉文は、二二六の青年将校たちと相当に深いかかわりがあったことを描き、一般に思われるよりもずっと深く二二六事件にコミットしていたことを示唆していたけれど、どうだったのだろう。
二二六贔屓で、統制派の軍人よりは断然皇道派の青年将校達の方が好きな私にとっては、山下の二二六への関わりは、正直、どう評価していいかわからない。
統制派の軍人達よりは、そうしたエピソードのゆえに好ましい気もするし、逆に言えば、二二六ではとうとう青年将校たちを見殺しにしたような気もする(不本意だったとしても)。
二二六事件における、秩父宮や山下奉文の行動は、いまもって不可解な気もするし、歯がゆい気もするが、一番心に痛手を負ったのは本人達自身だったのかもしれない。
山下奉文は、対米英戦に開戦前に反対していたが、いったん戦争が始まると、戦争が長引くほどに日本の形成が不利になることがわかっていたために、初期でなるべく米英に打撃を与えようとシンガポールへの電撃戦を展開したそうだ。
そうしたエピソードは、やっぱり山本五十六とよく似ていると思われる。
ただ、山本がわりと早く、日本の敗色が濃くなる前に戦死したのに対し、山下が敗戦後まで生きのびて、戦犯として処刑されることになったところが、両者の違いだろうか。
私には、もちろん同じく立派な人物とは思うけれど、あまりにも潔すぎて非の打ち所のない山本五十六の生涯より、二二六に一枚噛んで蹉跌の多い人生を歩み、かつ敗色が濃くなっても最後まで自決も戦死もせず、敗戦後まであえて生きて処刑される道を選んだ山下奉文の方が、人間らしいし、より悲劇的な気もするし、共感と興味がそそられる気がする。
いずれにしろ、山本五十六と山下奉文は、あの時代を代表する「英雄」であろう。
この本で知ったのだけれど、ウエストポイントのアメリカの陸軍士官学校には、ヒトラーやムッソリーニの写真や遺物と並んで、日本からは山下奉文の写真と軍刀が展示されているという。
アメリカ陸軍にとっては、強敵としての日本陸軍を代表する人物で、敵方の「英雄」は、昭和天皇でも東条英機でもなく、山下だったということなのだろうか。
山下奉文は処刑される前の日々において、祖国に復員する兵士達やこれから生まれてくる世代に、日本の復興と将来を託し、自分の職務に精励して明るい日本をつくっていくことを望んでいたようだ。
そうしたことを思うと、今の日本はこれでいいのかと、自問させられる気もする。
いつか、山下奉文のお墓にもお参りしたい気がする。
山下奉文は、ちょっと複雑で、これから、その全貌が解明されたり、よく整理されて語られるべき人物なのかもしれない。
おそらく、山本五十六や石原莞爾や今村均のように、スカッと語れる人物ではないのだと思う。
でも、だからこそ、さらにもうちょっと詳しく知りたいし、偲んでいきたい気もする。
山下奉文が、十分にその能力を発揮することもできず、志を伸ばすこともできなかった。
そこに、あの時代の日本の一番の悲劇があったような気もする。