ジョン・ブリュア 「財政軍事国家の衝撃」

財政=軍事国家の衝撃―戦争・カネ・イギリス国家1688-1783

財政=軍事国家の衝撃―戦争・カネ・イギリス国家1688-1783


18世紀のイギリスについてのとても面白い歴史の本だった。

一般的なイメージでは、18世紀のイギリスというのはとかく地味でイメージしにくい。
17世紀の革命と内乱、19世紀の産業革命と選挙法改革の動乱の合間の、わりと落ち着いた安定した平和な時代だったイメージがある。
政治については、牧歌的な、あんまり整備もされていないので、非効率だけれど、にもかかわらずわりと安定していたというイメージがある。

また、同時代の18世紀のフランスが重税に庶民が喘ぎついに革命まで突入したのに対し、イギリスは税金が比較的安く、そのため革命までには至らなかったというイメージもある。

しかし、この本は、そうした通俗的なイメージを根底から覆す。

実は18世紀のイギリスは、フランスをはるかに上回る税負担率の重税国家であり、集権化が進められていた。

そして何よりも、ほぼ百年間、間断なく大きな対外戦争をずっと続けていた戦時であり、そのような戦争を可能にするために高度の行政能力と徴税能力と国債発行に関するノウハウが発達した、つまり「財政軍事国家」化が進んだ時代だったことを、とてもわかりやすくこの本には描いてある。

いわば、イギリスが帝国化し、世界を制覇していった決定的な時代が18世紀だったわけで、もろもろの戦争でフランスに勝利し続けてそうなったわけだけれど、それを可能にするために、イギリスは国家予算の30〜40%を常に国債に頼り、国債の償還のために巨額の消費税を国民に課していった。

ただ、非常に興味深いのは、議会が発達していたため、課税に合法性と正統性がきちんと与えられていて、国民の合意のもとに課税が行われていたこと、および議会を通じて情報公開がきちんと行われていたため、税の公平性や正統性への信頼がイギリスにあったのに対し、

実際はイギリスより租税負担が軽かったフランスにおいては、会計が不透明できちんとした情報が内外に伝わらず疑心暗鬼を生んだことや、免税特権を持った貴族の存在により庶民の多くがあいつらばかりいい思いをしてと嫉妬と憎悪をつのらせたことがあり、イギリスは安定していたのにフランスは社会が騒乱状態になりついに革命にまで突入した、ということだ。

議会政治や情報公開が、実は非常に強力な国力や安定した統治の源であるということが、18世紀の英仏を比較するとわかる。
そうこう考えると、今の日本はさほど中国を恐れることはないような気もしてくる。

また、18世紀のイギリスは、さほど傑出したリーダーがいたわけではなく、たしかにウォルポールマールバラなどはすぐれた人物ではあったのだろうけれど、そんなに強力なカリスマがいたわけでもなく、各自の持ち場の人間がきちんと職務を遂行し、議会や世論において活発な討論や相互監視が行われた結果、結果として国力が大きく伸びたという現象も興味深い。
システムがすぐれており、複数の勢力が切磋琢磨しチェックしあう社会であれば、さほど強力なリーダーがいなくても、トータルで見た場合は非常に強力な国家社会となりうるということなのだろう。

また、18世紀のイギリスが膨大な国債を抱えていたにもかかわらず、そして多くの識者がそのことを憂慮して国家破綻の可能性さえ危惧していたにもかかわらず、結果としてべつに国家が破綻することもなく、膨大な国債を抱えながらもなんとかかんとか無事に運営されていったという点も興味深い。

18世紀イギリスの歴史は、実はけっこう今の日本を考える際にも役に立つことや示唆に富むのではないかとこの本を読んでいて思えた。

ただ、大きな違いは、18世紀のイギリスが、軍事に関して非常に積極的で、良くも悪くも軍事を己の運命や任務として積極的に担っていったのに対し、時代背景の違いも大きいが、20世紀後半・21世紀の日本は軍事に関しては基本的に官民ともに大きな配慮もコストも払わないし払おうとしないということかもしれない。
そのことは一長一短あるし、時代背景や置かれている状況が違うので、一概に良し悪しを言うことは意味がないが、

ただひとつ、ちょっと危惧されるのは、18世紀のイギリスが、良くも悪くもやたらと元気そうに見えるのに対し、どういうわけか21世紀初頭の日本は、いささか意気に乏しい部分があるようにも見えることだ。

ただ、ひょっとしたら、その時代を生きている人間にとってよく見えず、わからないだけで、後世から振り返ってみれば、実は21世紀初頭の日本も、18世紀のイギリスのように、一見安定しているように見えながら、実はそうでもないし、そしてさして傑出してすぐれた強力な人物がいるわけではないが、全体として見た場合良くやった時代だったと言えるようになるのかもしれない。

そこはなんともわからないが、そうなるようにするためにも、いろいろためになる本ではないかと個人的に思えた。