野口悠紀雄 「世界経済 日本の罪と罰」

世界経済危機 日本の罪と罰

世界経済危機 日本の罪と罰


とても興味深い本だった。

著者が言うには、2008年のサブプライムローン問題によって引き起こされた「世界経済危機」は、しばしば誤解されていることとは違って、アメリカの証券・金融業界のみが悪いのではないし、また日本に責任がないものでもない、

実は、マクロ経済のゆがみによって引き起こされたものであり、かつ日本が深くかかわっているものだという。

日本・中国・アラブ産油国アメリカに膨大な投資を行い、そのためにアメリカが膨大な経常収支赤字のままで消費を拡大し続けてきたマクロ経済のゆがみが今回の経済危機の大きな原因と著者は指摘。

その大きなしわ寄せは、日本と中国にかぶさってくると予測されている。

2002年から2007年までの日本の景気回復は、実はメッキ張りの景気回復で、この経済危機によりメッキが剥げた。

この間の日本の景気回復は、対米輸出と異常な円安という持続不可能な二つの要因によって起きていた。

今後その二つの要因に大きな変化がある以上、日本はマイナス成長も含めた大きな試練に立たされる。

つまり、日本は、「輸出立国モデルの崩壊・破綻」という状況に直面している。

こうした著者の指摘は、とても考えさせられる。

小泉改革は、本当に必要な産業構造の改革を全くせずに、重厚長大型産業(自動車など)を円安と低金利政策によって存命させてしまい、そのことが今回の経済危機の原因の一つであり、また経済危機に直面して最も問題となっていることだと著者はいう。

世界経済危機以降の円高によって、為替差損によってドル建ての日本の資産が、おそらくは六十兆円以上喪失されたという指摘を読んでいると、本当に頭がくらくらしてくる。
史上最大のデフォルトであり、日本人自身の愚かさに起因するとはいえ、みすみす日本人が汗水流して働いて稼いだ金をアメリカにくれてやったと思うと、なんとも照る日も曇る気がする。

90年代の不透明な不良債権処理で49兆円もの金が国民の犠牲のもとに銀行の放漫経営の穴埋めに使われたことや、低金利政策のために十年間で200兆円が家計から企業に移転されたこと、円安政策のために円高の利益を消費者が享受できなかったことなどと併せて、

日本国民の「政策批判能力の低さ」と日本の政府の「経済政策の貧困」の二つは、本当どれだけこの二十年の間に一般庶民・消費者の本来ならば享受できた生活の豊かさや富を奪ってきたか、考えると暗澹たる気持ちになってくる。

著者が言うように、産業構造の高度化・転換こそが、本当に必要な構造改革であり、それなしには日本の復活もこれからの豊かさもおそらくはありえないのだろう。

なお、著者は、原油や食料品の価格上昇について、決して投機が原因ではなく、中国などの需要が増加していることが原因であること、

つまり、世界経済が「供給の増加」から「需要の増加」にシフトしている、現在が大きな転換期にあることを指摘しているけれど、まったくそのとおりだろう。

この時期において必要なことを、著者は、日本が重工長大型産業から脱却することと、アメリカがガソリンと住宅の支出を削減すること、という二つを挙げているけれど、基本的にそのとおりと思う。

また、農業問題に関して、著者は、日本は農家政策はあっても農業政策がないこと、日本の米の値段は世界の普通の価格と比べて八倍も高いこと、供給源を分散すれば安定した供給は十分可能であることを挙げて、積極的な農業の自由化を主張している。
米の輸入関税の撤廃、農業法人の導入、農地売買の自由化、農業の集約化・大規模化をそのために説いている。
たしかに、比較優位の産業に特化し、農業をそうした方向に転換していく方が、消費者にとっては一番良いことかもしれない。

また、ビッグマック指数から考えれば1ドル80円ぐらいになりうること、今起こっているのはドルの減価であること、イギリスは金融仲介国として、アイルランドはITの拠点として、今後も基本的には繁栄が続いていくであろうことなど、なかなか興味深い話がいろいろ載っていた。

・輸出立国モデルの崩壊
・産業構造転換の必要
・農業の自由化

という三点について、本当に考えさせられる一冊だった。


また、

・「政策批判能力の低さ」と「経済政策の貧困」

という日本の問題については、本当に考えさせられる。

思うのだけれど、民主党政権が続こうとも、自民党復権しようとも、どちらも日本の産業構造の転換の必要を認識せず、単なるばら撒き分配政策(民主党)や重厚長大産業の甘やかし(自民党)が続くだけで、これからさらに厳しい状況に立たされる日本経済は、あんまり良い方向には転じないのではなかろうか。

多くの国民が野口さんの本を読んで、今必要な改革が何なのか、単なる党派心を超えて考えるといいのにと思われてならない。