神聖喜劇 2巻

神聖喜劇 (第2巻)

神聖喜劇 (第2巻)


この第二巻の前半では、下級者は上級者に対して責任を問うことができず、上級者は下級者から責任を問われることはないが、下級者は上級者から責任を追及され、無限に上級者に対して責任を負わねばならないという、日本の軍隊の「責任阻却の論理」と構造が指摘される。

丸山真男が全く同じことを、「抑圧移譲」「無責任の体系」と呼んだけれど、大西巨人も独自にこの日本軍隊特有のシステムに着目し、洞察したそうだ。

天皇を頂点としたこの「責任阻却」「抑圧移譲」の仕組みを見ていると、戦前戦中の日本とは一体何だったのだろうと改めて考え込まざるを得ない。

責任の所在が不明確で、あんまり個々人に明確な責任意識が存在せず、とんでもない間違いをシステム全体が誤作動を起こすとなかなか訂正できないという点では、形を変えて、戦後民主主義になったはずの今の日本でも存在していることかもしれない。

これほどのバブルの崩壊や、失われた十年、二十年の停滞や、公共事業や米軍思いやり予算などでの国費の濫費がありながら、おそらく全く個々の政治家や官僚には自らの倫理的な責任意識もなく、国民からその責任を問う声もろくに起こらない状態を見ていると、「責任阻却」の論理や構造は今も神聖喜劇のころと変わらず存在していると見た方がいいのかもしれない。

また、この巻の後半の、部落民差別の話も、日ごろ気付かない日本の暗部を見させられる気がする。

末尾の方での、「戦争とは殺して分捕ることだ」という大前田の独白もインパクトのあるもので、決して戦争とはきれいごとではなく、なんと野蛮なことかと、その実態を赤裸々に考えさせられる。

この二巻を読むと、本当、日本とは何か、人間とは何か、あらためて考え込まざるを得ない。

かつての日本、そして今の日本や世界を考えるためにも、読むべき一冊と思う。