小林よしのり 「昭和天皇論」

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論


面白かった。

特に、昭和天皇マッカーサーの微妙な関係の件や、敗戦後に昭和天皇天智天皇の白村江の敗戦後のありかたに深い関心を寄せ強く意識していたという話は、私もあんまり詳しく知らなかったので、とても面白かった。

他は、だいたい他の本で知ってはいたけれど、あらためて読んでいて思い出したり、胸打たれるエピソードも多かった。

私がちょうど小学校の高学年の頃に昭和天皇大喪の礼があった。
なので、私の世代ぐらいまでは、昭和天皇の存在感の大きさとあの強烈な印象のキャラは記憶にあるだろうけれど、私の世代以下の、特に平成生まれの世代には、だんだんと昭和天皇の記憶もうすれ、そもそも記憶が存在しないようになっていくのかもしれない。
とすると、漫画でわかりやすくいろんな資料を集めて昭和天皇のことについて書いてあるこの本は、昭和天皇について知るための良い一冊と言えるかもしれない。

ただし、大体においてはあんまり異論はないけれど、以下の三点はちょっと気になった。

まず一点目は、この小林よしのりの本だと、吉田茂マッカーサーに影響され過ぎ、ダレスとの交渉で無意味な躊躇や交渉の落ち度を繰り返し、昭和天皇のすぐれた判断や交渉によって日本は対米関係がスムースに進むことができたかのように描かれている。
たしかに、昭和天皇が非常にすぐれた統治理性の持ち主だったことはそのとおりだと思うし、吉田茂がダレスとの間に摩擦があったことも事実だが、後年に昭和天皇吉田茂を悼んだ御歌を残していることを考えれば、昭和天皇吉田茂への信頼や評価は極めて高いものがあり、ダレスとの交渉も吉田のへまとは考えておらず、むしろアメリカの再軍備要求を交わすために昭和天皇吉田茂が役割分担をして阿吽の呼吸であのような形でまとめていったと見た方が私は良いのではないかという気がする。

二点目は、小林よしのりがあまりにも全面講和論を空想的な左翼主義として批判していることへの違和感である。
たしかに、現実的には吉田茂の片面講話しかなかったかもしれないし、全面講和論はたしかに理想論だったとは言えるが、小林よしのりが批判するほど全面講和論者も別にソビエトや中国にかぶれていたわけではなかったのではないかと思う。
今日から見れば、結果的に全面講和論はあまり意味をなさなかったようにも見えるし、理想論に過ぎたように見えるが、戦争の一方の当事者であった中国に対する道義的な理想から、やはり対米のみでなく対中関係も考慮した講話が望ましいという、あまりイデオロギーに関係なく、別にソビエト中共を理想化していたわけでもない、それなりに道義的に妥当な背景が全面講和論にはあったように私には思える。(そのあたりは小熊英二『民主と愛国』が参考になる本だと思うけれど)


三点目が、昭和天皇個人に関しては、小林よしのりが描くように、すぐれた統治理性の持ち主であり、また非常に魅力的な、無私の精神の人だったかもしれないとは思う。
ただ、往々にして左派と右派でそこがいつもかみ合わないようだけれど、皇室の個々人の御人柄がどれだけすぐれていたかという問題と、戦前戦中における構造としての天皇制の孕んだ問題はまた別である。
どれだけ昭和天皇が無私の善意の人であったとしても、また皇室が良い役割を果たす局面があったとしても、一方で戦前戦中において、天皇制が、丸山真男が「無責任の体系」「抑圧移譲」と呼び、大西巨人が「責任阻却の体系」と呼んだような、責任の所在が不明で、かつ上位者の命令は絶対視され、下級者ほど抑圧が重くなり、しかも絶対に逆らえない巨大な同調圧力を受ける、という構造としての問題を持っていたことは、日本の本当の敗因や亡国の原因として鋭く批判的に吟味される問題だと思うが、小林よしのりにはそうした問題意識はほぼ皆無のようである。
構造としての天皇制の問題は、べつに天皇の責任を問うとかいうこととは全く別個のものであり、昭和天皇もまたその構造によって大きな苦しみを舐めてきた方だとも言えると思うのだが、おそらくは小林から見れば丸山や大西のような指摘もサヨクのたわごとということになるのではないかと思う。
天皇個人の問題と、構造の問題を峻別し、構造の問題にきちんと向き合うということがあれば、さらに昭和天皇論も深みがあったと思うのだが。

とはいえ、上記の三点を除けば、おおむね昭和天皇についてよくまとめてある本だと思う。

なお、個人的には、昭和天皇の弟君・秩父宮についても取り上げてもらえてたら、なお良かったのではないかと思う。
秩父宮ほどすぐれた知性の持ち主は当時でも稀だったと思うし、秩父宮の存在を描いてはじめて見えてくる昭和天皇の側面もあると思う。