- 作者: 西野広祥,市川宏
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1996/03/01
- メディア: 単行本
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この本は、韓非子のとてもわかりやすい現代語訳と原文が載っていて、韓非子のエッセンスが味わえる。
とても良い一冊と思う。
韓非子が言っていることは、要するに、
賞と罰(刑徳)の二柄をしっかり君主が握り、人々を統率するということだと思う。
そのために、人の言葉(名)と実績(形)とをきちんと照合し、物事を見通し簡単には人にだまされない「術」と厳格なルールとゆるぎない意志である「法」の二つ、法術を駆使するということなのだと思う。
聖人とは現在を問題とし、その解決をはかるものだとはっきり定義し、時代錯誤を排して、時代の変遷をきちんと理解し、現在に対応することを繰り返し力説しているところは、同じ中国の古代思想とはいえ、儒家とはやはりだいぶ異なるリアリズムとダイナミズムを具えた思想と思う。
儒教の道徳はおもちゃの玩具(戯)に過ぎないと喝破するに至っては、今もそうだけれど、当時においては相当に衝撃的だったのではないかと思われる。
いろんなユーモアとウィットに富んだ説話の数々もとても面白い。
韓非子がたくさん列挙している亡国の兆し(亡兆)は、戦前の日本や今の日本や各国など、いくつかあてはまりそうなものもあり、とてもためになる。
小忠と大忠、小利と大利の区別というのも、本当に大切なことだろう。
思うに、韓非子は一見冷酷なマキャヴェリストのようにも見えるけれど、あくまで国家理性の立場から必要な法術を論じたのであり、個人の倫理とは明確に区別をしていたのだと思う。
儒家の道徳の方が、それは個人として接する場合の道徳としてはすぐれているとは思うけれど、そんなことは韓非子も重々わかったうえで、一国の運営という見地から、小忠や小利を排して、大忠や大利のためにさまざまな法術を真摯に説き明かしたのだろう。
空理空論を排し、事実と実績を参照する、だまされない力量ある君主。
現代の民主主義の国家の主は国民だとしたら、国民ひとりひとりが理想的にはそのような力量を持つことが、韓非子の見地からすれば望ましいのかもしれない。
国を害する五匹の害虫「五蠹」も、今風に解釈すれば、新宗教とアメリカへの隷属ばかり説くポチ保守とヤクザと天下り官僚とインチキ商売の五つということになり、なかなかリアルに現代日本にもあてはまることかもしれない。
そして、韓非子が、そのように真実を認識し、リアルな法術を説く人は、「孤憤」、つまり孤独な憂いと義憤を抱えて生きていくしかないことを述べているところも、なんともアイロニーとペーソスを感じさせられて共感させられる。
そうしたことを考えれば、韓非子はいつの時代も、最も大事な古典のひとつと言えるかもしれない。