千年女優

千年女優 [DVD]

千年女優 [DVD]


この作品の冒頭には、官憲に追われている(おそらく共産党員の)青年が出てくる。
主人公のヒロインは、その青年をある時に助けて逃亡を手伝い、ずっとその青年の面影を追い求め続けて女優になるが、だいぶ経ったのちに、すでにその青年は特高の拷問で死んでいた、という話を聞く、というストーリー。

これはもちろん単なるフィクションのアニメなのだけれど、イメージ的には、なんというか、昭和初期の共産党員の青年の中には、そんな人がいたような気もする。
戦後の、進駐軍を解放軍だなどと讃えたり、全共闘を杓子定規に切って捨てた、そうした見苦しい戦後の共産党とはぜんぜん違う、何かしら幕末の草莽の志士に相通じるような、凛々しさと美学のようなものが、戦前の共産党員の青年の中にはあったような気がする。

川合義虎や小林多喜二や今村恒夫のエピソードなどを読んでいると、「千年女優」のヒロインが恋した青年そのもののような、そんなイメージがあるような気もする。

ただ、それは結局、幻影だったのだろうか。
戦前の時点で、すでに途中からは強盗や内ゲバリンチのようなこともあったようだし、いい人は早い時点で死ぬか淘汰されるかしたような気もする。

ただ、戦後の民主主義というのは、ひょっとしたら、いくばくかは「千年女優」のように、すでに死んだ戦前の弾圧で散っていった若者や、あるいは若くして死んだ学徒兵や戦没者たちへの、追憶や悔恨というものが支え、あるいは生み出してきたものだったような気もする。
もしそうだったとしたら、そうした歴史の物語への記憶が風化していけば、戦後の民主主義というのも、ひょっとしたら風化してしまうのかもしれない。

戦前の昭和初期の社会主義国家社会主義も含めて)の弾圧の犠牲者や、戦争で亡くなった戦没者のことを、まったく知らなかったり、その記憶やイメージのない人間ばかりになったとしたら(実際今の日本はかなりそうだろうけれど)、民主主義に対する感覚や思いも、政治権力に対する感覚や考え方も、おそらくはだいぶかつての世代とは違ってくるのではなかろうか。

その場合、そうした歴史へのイメージや物語を語りついで再生産するか、あるいはもう諦めて違った方法で何か道を探すのか。

おそらく、そのどちらも必要なのだろうけれど、もし前者を模索するとすれば、サブカルチャーがやっぱり重要ななんだろうと思う。
としたら、サブカルチャーは、実は戦後の民主主義を支える重要な役割があるのかもしれない。

私も、敗戦から三十年以上経ってから生まれた世代なので、もちろん直接は昭和初期の時代を知らない人間なのだけれど、なんの因果か、むかしら昭和初期の頃の歴史にひかれてしまう。
でも、それはひょっとしたら、その手のサブカルチャーの影響なのかもしれない。

サブカルチャーもいろいろで、大戦中を扱いながら、まったく戦前の共産党などを無視か嫌うようなものもあるのだろうけれど、「千年女優」のような作品が、案外と、庶民の記憶や幻想の根本のものを伝えているような気もする。

でも、しょせんは、戦後から何十年も経ってから生まれた世代は、昭和初期の時代をヴァーチャルとしてしか知りようがないのかもしれない。
ヴァーチャルにしか昭和初期の、重い歴史を知れない世代が、これから先どうなるのか。
自分も含めたことながら、たぶん、昔の世代に比べて、政治権力への緊張感や批判意識が乏しく、責任感や志気に乏しい、そんな時代になっていくんだろうなあという気がする。
いたしかたのないことだけれど、せめてヴァーチャルながら、追体験や物語を新たに紡ごうとする中に、歴史を単なる単調な繰り返しにはしない、ちょっとしたズレを生み出す工夫もあるのかもしれない。