安倍晋三 「美しい国へ」

美しい国へ (文春新書)

美しい国へ (文春新書)


安倍さんが首相だった頃に、たしかベストセラーになっていて、その頃に読みそびれて、遅まきながら今頃読んだ。
正直、思っていたよりもけっこう面白かった。

安全保障と社会保障の二つが、国にとって最も大事であるということ。
日本に対する深い愛情をはぐくみ持つこと。
などのメッセージは、読んでいて共感した。

また、インドやオーストラリアと提携を深めて、日米豪印の四カ国関係を強化することの提言は、とても有意義と思うし、賛成である。
さらに、日中関係における経済関係の重要性を指摘し、政経分離で日中経済関係を強化すべきという主張もうなずかれるものだった。
厚生年金と共済年金年金一元化の主張や、格差を固定化・再生産化しないようにする工夫の必要の訴えは、まったくそのとおりと思った。

さらに、北朝鮮拉致問題や、靖国神社問題なども、相当に詳しく勉強し、深く考えている様子はこの本からも伝わってきた。

安倍さんは、今の日本では珍しい、真面目な政治家だとは思う。

ただし、気になる点はある。

日米同盟を機軸に考え、日米同盟を重視するのは、ひとつの考え方としてはよくわかる。私もべつに日米関係が大事であることは否定しない。
日米の安全保障関係において、双務性を高めるというのも、それなりにわかる主張ではある。
しかし、安倍さんの場合、あまりにも日米同盟の重視が当然視されていて、アメリカの実際の行動のさまざまな問題や、米軍基地問題への問題関心があまり感じられない。
イラク戦争や、沖縄の米軍基地問題など、それらに目をつぶっていては、それこそ「美しい日本」からは程遠いと思える事態に、安倍さんが基本的に批判精神を持たずにいるように見えることは、もし本当に愛国者であるならば、かなり残念なことのように思う。
全体として日米関係を重視することには異論がないが、各論において大いに日米関係の適切な是正のための批判精神や抵抗精神を持ってこそ、これからの日本にとっての愛国心や気概だと思うのだが、どうだろう。

また、安全保障と社会保障の二つを重視すること自体には、私はぜんぜん異論はないのだけれど、安倍さんの場合、圧倒的に前者の比重が高く、後者はそこまで具体的にはこの本では論じられていない。
少子化対策についても、具体策はどうもよくわからず、お見合い産業への梃入れぐらいしか述べられてないのは、いささか残念である。
労働問題についてもあまり関心はなさそうで、格差是正について一応の関心はあるのだろうけれど、あんまり社会保障・労働問題についてきめ細かく検討・提起しようという風には感じられない。

つまり、アイデンティティや外交・軍事などの「大きな政治」には強い関心を抱き論じようとしているが、具体的な生活や庶民の暮らしに根ざした「小さな政治」はあんまり関心がないか、やや不得意な分野なのではないかと思われる。

もちろん、人によって得意・不得意はあるだろうし、安倍さんのように「大きな政治」を真っ向から論じて掲げる人がいてもいいかもしれない。
前任者がほとんど意味不明のワフレーズ・ポリティクスとデマゴギーだったのに比べれば、「大きな政治」を真っ向から論じて国民に問いかけようと安倍さんがしていたことは、そのすべてに賛同するかどうかはべつにして、大事なこととは思う。

とはいえ、国民の大半にとっては、「大きな政治」よりも「小さな政治」の方が、少なくとも目先の実際の人生にとっては、ずっと切実な問題であることも事実である。

安倍さんはこの本の中で三輪寿荘について言及していたけれど、岸信介と三輪寿荘がまったく立場を異にしながら親友だったように、「小さな政治」が得意な、しかも安倍さんとは相対する政党にいる政治家の中で、「大きな政治」を掲げる安倍さんたちと一定の相互理解と信頼関係を持つすぐれた政治家が一定数いれば、政権交代や政治の質もさらに高めることができるのかもしれない。
そのためにも、相対する党派の人も、一応読んでみても良い本のように思う。

安倍さんはおそらく、首相になるのが早すぎたか、やめるのが早すぎたような気がする。
その真面目さと、愛国心は高く評価されるべきだろう。
ただし、もし「美しい国」を本当に目指すならば、この半世紀以上、アメリカに無闇に隷従してきた自民党の対米従属の部分と、公共事業・土建へのばら撒きで美しい日本の国土を無惨に破壊してきたことの二つこそが、日本を「美しい国」ではなくしてきたという認識と、そのことへの、もっと切実な慚愧や批判精神があっても良いと思うし、その作業をせずには本当に「美しい国」を目指すことはできないのではないかとも思う。